初夏の対象a


 さて、ほとんと3ヶ月ぶりの更新になった前回の記事では(いや、4月からいろいろ新しい仕事が入って本当に大変だったのです。世間様的にはふつうの仕事量なはずではありますが。。。)とある初夏の一日、わたくし、3ヶ月の赤ちゃんに会いに行く、という話をしつつ、そのなかでも、この時期の赤ちゃんにとってさえ、うんち=贈り物、という構図があることに触れたのでした。

 そりゃあんた、精神分析とか勉強してたお母さんだからそういうんじゃないの、とおっしゃる向きもあろうかとは思いますが、うんちとかしたあと妙に誇らしげだよ〜、と報告してくれるお母さんは別にこの学問に関係あるひとばかりではありません。まあそもそも、やっぱりいっぱいおっぱいのんでいっぱいうんちしてくれるという、丈夫で健康的な赤ちゃんは両親にとってほんとうに嬉しいものですから、その両親の喜びをうけた赤ちゃんが、両親に喜びをもたらすことができる自分にも、両親によろこびをもたらす証であるうんちにも、誇りを持ったとしてもなんの不思議もないわけで、こうやって話を分解してばらしていくと、うん、クライニアン風とはいうけれど、特に精神分析という研究に特有の思考法や発想の産物というわけでもないよね、という気がしてきます。

 とはいえ、ここにひとつ不思議があるとしたら、それは再生産と循環、というラインと、生産と利潤というラインの、微妙にしてあいまいな境界線が透けて見えるところにあります。

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