デリダの論じるカントにおいては、いわば詩人の想像力ないし構想力のようなものが、神から与えられた資本のようになっていました。この神授説を必要とした理由は、とにもかくにもそこにだけ余剰があるからです。同じように、ラカンの論では、知もまた資本同…
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