2005-02-01から1ヶ月間の記事一覧
さて、前回はショーレムの論文を読みながら、『無からの創造』という問題を考えてきたのでした。 ですが、こうして無が神の究極の属性とされるようになると、話はそれはそれで面倒を引き起こします。なんと言ったところで、聖書の神は人格神としての、啓示の…
以前ドゥルーズのヒュームの話をしたときのこと。「反射」という問題について、ちょっと触れたのでした。 べつだんドゥルーズにとどまらず、一元論的な傾向の強い論者は、この部分に共通のネックを抱えている、といってもいいように思われます。自己展開、と…
あんまりブログらしい内容で書いたことがない、ような気もするこのブログですが、今回はそれっぽく。というか、書いた記事(http://d.hatena.ne.jp/rothko/20050129)に対する責任もありますのでワンポイント小ネタとはいえ載せないわけにはいきません。。。ド…
さて、前回に引きつづき、ドゥルーズに学ぶ主体の作り方、第二回がやって参りました。ん、ベルクソンの話もいれると四回目ですね。 ここまでのドゥルーズの議論を追っていくと、そろそろ主体を特徴づける主体性を考えてみる必要があることになります。ドゥル…
『劇場の比喩にわたしたちは惑わされてはならない。・・・・・・それらの場面が表象=上演される場所や、その場所を構成している材料については、わたしたちはどれほどかすかな認識であろうと、もちあわせていないのである。』(『人性論』二巻103-4) ヒューム…