2004-08-01から1ヶ月間の記事一覧

知を想定された主体(4)

前回までの話で、われわれは、対象aという概念がある空虚との出会い、あるいは鏡像のなかの不可視の点から生まれてきたのではないかと説明してきました。 それは、たとえば分析においては分析家の沈黙、ということでもあります。ネットワーク論的な用語でい…

知を想定された主体(3)

対象aという概念は、ラカン本人の否定(いつものことですが)はさておくとして、やはり鏡像としてのaという概念から派生したものであることは間違いありません。 鏡像のなかに映らないもの。このアイデアを、ラカンはカール・アブラハムの症例から得たのでした…

知を想定された主体(2)

「今や皆さんも、その主体が何を知っていると想定されているのかは良くお解りでしょう。人が端的に意味作用を口に出すや否や誰もが逃れることのできなくなるもの、その様なものを知っているとされているのです。」(Sem11, 228)というところで、前回は話を切…

知を想定された主体

そのむかしフロイト先生がまだ余りフロイト先生でなかった頃、彼のテクニックに「前額法」というものがありました。 なんのことはない、おでこに手を当てながら、「あなたは絶対に憶えているはずです。思いだしてください。」と強要もといお願いするという、…

ないしょのはなし

むかし、たしか河合隼雄せんせいだと記憶していますが、どこかでこんなことを書いていました。 せんせい、カウンセリングで、はじめて盗んだものについて聞くのだそうです。まあ、なにかしらちょっとしたものを、ほんの子供の頃、いっときの出来心で盗んでし…

ヒキコモリのダニ

ユクスキュルの報告では、自分の出番を待ちながら18年ほどおやすみ中のダニがいたそうです。ベイトソンが、ユクスキュルのこのへんの話、大好きだったなあ、ということを思い出しますね。何はともあれ、この種類のダニさんは、酪酸という物質の臭いだけに反…

狼少年

そのむかし、やたら雑学に強い哲学の某教授が、アヴァロンの野生児ほか、「狼に育てられた」とか、そういう物語のもとに発見された、言語の外に育った子供達のことをちょっと質問していました。もちろん、それは、ひとは言語の中に生まれるというお題目を繰…

どんなときも、どんなときも

7割方雑談ばかり、という気がしないでもないとある読書会でのこと、私の先輩がいいました。 郊外の住宅地に向かう電車に揺られるぎゅうぎゅう詰めのサラリーマンを見ながら、こう思ったのだそうです。この人たちは、住宅ローンを抱えている。そしてローンを…

他ならぬこの私が・・・

不可能と必然の反転、という話を、シェリングの抱えた一つの問題ではなかろうか、というはなしをちょこっとしました。ついでに、ヤコブ・ベーメに対する言及は、そのあたりの材料を探していたからではないかと。でも、このあたりの見解の本場といえば、やは…

ミュンヒハウゼン男爵の幻想

今日はちょっと毛色を変えて、ファティ・ベンスラマ 「物騒なフィクション」(西谷修訳、筑摩書房、1994)から。著者のベンスラマさん、チュニジア生まれの精神分析家でもあります。でもこの本で論じるのは、そう、1988年に出版されて騒ぎになったあのサルマン…

汝は勤めを果たしているか、アンフォルタス

さて、前回、エディプスコンプレックス、それも男子のそれは、男であるということは、代理人としてでしかない、といいました。元ネタはラカン、セミネール第5巻から。 「結局のところ、男は代理人という無限のシリーズを通じてでしか男性的ではあり得ないの…

斜めから見る

「動くこともなくそこにとどまっていようとしてエミリーは、歪んで見える現実、この現実に捉えられた形態が、そこからして彼女の内部より押し出され、統制されていく視点の位置に立っている。・・・その結果、彼女がそこから出て行こうと思っても、彼女の知…

寄生されることの享楽

「全体あるいは完全な存在の形成を妨げる障害となっているのは母親ではないと反論するだけでなく、この妨げこそが女を主体として構築するものなのだと反論するだろう。女になるとは、すべて-ではないnot-allものになること、自分と自分の身体との分離を引き…

神罰てきめん

今日は既出の小ネタのミックス技。個々の小ネタのみならず、ネタの組み合わせ自体もジジェクのThe Abyss of Freedomにあったりするのですが、まあまあここはそれはそれでということで。さて、身体と心を繋ぐのは表象であり、その表象は人間にはなく、すべて…

イマジン

Imagine there's no woman、「女なんていないと想像してごらん」という、ちょいとびっくりするようなタイトルで、コプチェクの2002年の著書の邦訳が出版されました。もちろん、元ネタはジョン・レノン。Imagine there's no heaven... という一連の歌詞から。…

無からの創造

毎回結構長かったシェリングも、一応今回で本人の著作は一区切り。今回は、 「哲学的経験論」(山本清幸訳、ミネルヴァ書房、1973)です。 シェリングのここでの論理構成は、一見すると以前の複雑さを失い、かなり単純化されたものとして登場します。純粋に客…

余はいかにして観念論者になりしか?

さて、前回まで、シェリングにとっての永遠、というもののもつややこしい位置づけの問題にまでたどり着いたわけですが、今回ご紹介するのは「近世哲学史講義」(細谷貞雄訳、福村書店、1950)から、そのいくつかを。講義の集成ということのようですが、本人の…

時代はまわる?

「本質が内包された時間を保持しているが故に、人は最も古い過去も、最も遠い未来をも同様に直接的に結び合わせることが出来るのである。」(114)さて、前回のさいごにわれわれは、シェリングがその自由論から、神の生成、そしてその生成に伴う時間性の出現と…

ただ憧れを知るものだけが

「重力は光の永遠に暗い根底・・・としてこれに先行し、光(実存者)が上れば夜のうちへ逃れ去る。光ですらもそれを閉じ籠めている封印を解きおおせない。」かなりポエティックなこの発言、これはシェリングの「人間的自由の本質」の一節(岩波文庫版59ページ)…

神の箱庭療法

「神の芸術療法」とシェリングの「世代」論を評したのは「仮想化しきれない残余」のジジェク。日本人なら「神の箱庭療法」でしょうか。いや、しかし、ジジェクが夢中になるのも無理からぬところ。なにせ、シェリングの神様は少々マッドな奴で、おのれの狂気…