2005-01-01から1ヶ月間の記事一覧

血液交歓?

それでは、前回に引きつづき、ボグダーノフさんの略歴を紹介しておきましょう。1873年生まれ。モスクワ大学では理数学部自然科学科で、ハリコフ大学では精神医学を学ばれたそうです。もっとも、学生運動に連座してちょいちょい流罪とか、そういうのがこの間…

赤い星から愛を込めて

さて、前回は「物質と知性の同時的発生」というベルグソン&ドゥルーズの話をしていたわけでした。ちょいと電波?電波が自然哲学なんでしょう、という某M澤師兄のツッコミはその通りなのですが、しかしこの際ですからちょいとでは済ませません、さらに吹っ飛…

いきいきジャンプ

さて、このイマージュを、ドゥルーズはベルグソンに倣って、もう物質と区別していないことを指摘しておくべきでしょう。バークリーから脈々と流れるこの思想史的系譜。でもなんで?と聞かれるとドゥルーズはこう言います。客観的なものとは潜在性を持たない…

逃がした魚は食えない

かなり昔のことです。研究室の先輩から電話がかかってきました。 「君、米三合余ってないかね?」 ここを興味を持って読んでくださる方はおそらくよくご存じかと思いますが、大学院生、とくに文系の院生はみんな貧乏です。というか怒濤の貧困生活です。スイ…

内緒の手紙

ヤナーチェクではありません。前回に引きつづき、デリダ『秘密の文学』を。 この、アブラハムの置かれた可哀想な状況をデリダはこう描いています。 「絶対的秘密であり、共有していない秘密に関して共有して守るべき秘密。絶対的な非対称。」(301)「それはど…

嘆きの神様

前回までは、デリダの『死を与える』について延々と書いていたわけですが、この本にはカップリングが付いています。「秘密の文学−不可能な父子関係」ですね。こちらは、よりアブラハムの物語に密着したはなし。でも、ここで注目してみたいのは、前回に続き神…

スタンド・バイ・ミー

さて、これまで二回を費やして、デリダの『死を与える』を考えてきたのでした。 最終的に、今の段階ではどうしてデリダが「死」という問題と秘密という問題を強引にリンケージさせようとしたのか、わたくしは今ひとつはっきりと判っていない、というのが正直…

へんじがない、ただのしかばねのようだ

さて、デリダの解釈するパトチュカと限定してのはなしですが、ここではこの内面性、不可視性について、ダイモーン的からプラトン的な移行に関しては詳細であり、かつプラトン的からキリスト教的への移行においてはやや手薄です。そこを補う形でアブラハムを…

こまわりくん

責任ある生は、何ものか贈与として考えられている。結局のところ贈与とは、としての性格を持ちながらも、人間が永遠に従属している到達不可能なものの諸特徴を−すなわち秘儀の諸特徴をも示すようなものなのである。この秘儀が最後の言葉を握る。(パトチュカ)…

驚き桃の木山椒の木(2)

さて、前回は、バディウの『聖パウロ』から、ギリシア的、ユダヤ的、そして使徒的言説についてのところまで確認していったわけでした。そして、ギリシアとユダヤの相補性についてを。 しかし、なにはともあれ、全体と例外は相補的、という主張は、それほど目…

驚き桃の木山椒の木

先だって音声・画像認識の研究者さんとお話をしていたときのこと、こう聞かれました。びっくりする、恐怖、不安というのはどういうことさ、と。 確かに難しい問題です。さしあたり、感情という要素が入ってしまうと問題がややこしくなるので、問題を絞ろう、…