2004-07-01から1ヶ月間の記事一覧

模倣の法則

鉄は熱いうちになんとやら、ともいいますので、ちょっと読む機会があったとあるテクスト、早めにまとめてみたいと思います。というか・・・最近物忘れが凄い早くなって・・・くだんの論文はEric LETONTURIER, "Gabriel Tarde, sociologue de la communicatio…

同じものが還ってくる

読んでいる人がいるか定かではない(というか多分いない)記事でも、公共の場で書くからにはある程度普遍的に役に立つなり(まあ実は無意味であっても)楽しいなり(まあ滑っていたにしても)、そんなものであるべきだとは思いますが、今回はちょっとラカニ…

尾を振る犬のしっぽは切れない?

今回は読書会の記録から。Lacan, Seminaire XVII, "L'envers de la Psychanalyse"からp.183-186の読解です。珍しくちゃっちゃと記録していますね、我ながら。でも、ラカン本人の話はあちこち飛びまくっているので、こちらも合わせて飛びまくり、という点はど…

余の辞書に・・・

さて、以前九鬼周造の話をしたときのテーマは「偶然性」でした。 様相論理では、可能性と偶然性の曖昧さ、区別の微妙さというのが一つの主要なトピックです。しかし、一応ラカンの研究をしている手前、気になるのはどちらかといえば「不可能」のほう。ラカン…

デカルトあるいは映写技師としての神

さて、前回までちょこちょこっとラカンせんせいのとっぴなデカルト解釈を聞いていたわけですが、今回はちょっとまともな・・・と思いきやちゃんとした哲学の人からはやっぱりとっぴかもしれないデカルトの小ネタで勝負してみたいと思います。我思う、故に我…

こわれたレコード

今回は前回の続き。引きつづきLacan, Seminaire XVII, "L'envers de la Psychanalyse"からp.180-182の読解です。 0,1,0,0,0,1......そんな0と1の羅列。その数字の羅列はしかし、例えばラカン自身のたとえでは3つずつ、区切られて、さらにそのユニットを3つず…

「故に?」我在り?

今回は久々に(いつもそう書いている気がする)読書会の記録から。Lacan, Seminaire XVII, "L'envers de la Psychanalyse"からp.180-182ですねあいかわらずはなしは流れ流れてのセミネール、焦点が絞りにくいので、今回はピンポイントで。ラカンのUnの扱いにつ…

見返り美人

おねがいこのはなしはたぶんに誤解を招くおそれがありますので、よろしければ過去三回のログをお読みの上、極めて学術的なはなしであるという前提の上お読みくださいますよう、伏してお願い申し上げます。さて、恥という感情を考える上で、存在からの呼び声…

恍惚と不安

外傷と恥の感情の話、第三回目ですが、ここでようようおしまいというかまとめへ。 ハイデガー以来存在からの呼びかけの側に位置づけられることになったこの感情。ラカンはそれをシーニュというふうに読み替えます。つまり、言語のもつ意味の流動性を固定させ…

覗き魔の見るもの

サルトルの覗き論、というのは周知のように、『存在と無』の中で論じられた主題です。見られていることすら気づかぬうちにみられていること。そのまなざしから引き起こされる諸々の感情をサルトルは論じたわけですが、ここでは恥。サルトルのテーマは見られ…

穴があったら・・・

中井久夫「徴候・記憶・外傷」、届いてからずいぶん経つのですがようやく目を通しました。相変わらず一つの資料から総論結論まで飛ぶの速いなあ、と思いつつも、まあその直感性が楽しいせんせいです。今回は一般向けの原稿発表が中心ということもあるのでし…

おひかえなすって

鮎を買い、枝付きの枝豆を買い、おまけに帰り道では(私にとってはですが)初蝉を聞き、と、どうも夏気分な一日です。さすがにビールは遠慮しましたが、もうすっかりおじさん気分。いや、実際おじさんですが。対照的にシェリングの著作をいくつか(というほどい…