2005-04-01から1ヶ月間の記事一覧

おしゃべりな神様

今日はちょっと、普段の読書ノート風というよりレビュー風にいってみましょう。見出しを付けるとしたら「あの電波系の大著、ついに翻訳なる!」というところでしょうか。そう、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」がついに翻訳されちゃったという意外な…

可能性の贈り物

前回は、性別化のマテームに、ちょいと様相論理を掛け合わせてみたのでした。 では、この様相論理と性別化のマテームの組み合わせから、何が読み取れるでしょうか。そのへんを手短にまとめて、この全10回となった少々長すぎる駄弁のまとめに代えましょう。 …

今度出会うときは必然?

さて、前回からの流れを踏まえて、性別化のマテームをもう一度確認しましょう。 ここで、女性の側から向かう二つの矢印、それは一方ではこうした《他者》の享楽のメタファーとしてのファルスに向かいます。「どこにあるかが知られているもの」「その所在を把…

享楽のメタファー

さて、前回は、《他者》の空虚、という話をしてきました。 ちょっと整理しておかねばならないのは、こういうことです。われわれは、∃x¬Φx、女性にとってのドンファン的な存在のことを、そのように書いてきました。去勢されてない奴がひとりはいる、ってこと…

両性の合意による性器の独占的排他的使用権(2)

http://huh.34sp.com/wrong/2005/03/24/scoop/スラヴォイよおまえもか・・・(いや、べつに彼と結婚の約束をしていたとか彼と仲の良い友人であるとかそういうことはないのですが)3月24日付けですから、知っている人はもうとっくに知っているのでしょうが、…

一夜限りと一乗寺/一情事

さて、前回は、《他者》の享楽、というところで話は終わったのでした。 《他者》の享楽、という言葉は、ラカンの文脈では、60年代末までくらいは確実に、倒錯者の目指すもの、というような位置づけをされています。神経症者が《他者》の要求、精神病者が《他…

南の島に雪が降る日に、待ってる

さて、これまで延々と見てきた、ラカンの性別化のはなしでの、この「すべてではない」は、以下のはなしに適用されるもの、ということにすると、だいぶ明快になってくる感じになります。 「すべての男でないものは女である、人はそれを認めてしまうようですが…

欺瞞の全体系

前回までは、エディプスコンプレックスにおける男女差のねじれ、というところから、男性の性別化のロジックにおける古典論理、という視点から問題を整理してみました。端的に言って、排中律によって強いられる「未来に関する決定論的な見解」によって、男性…

閉じられた未来

さて、前回は言い訳と「お勉強」だらけでした。今回は、それに群盲象を撫ず、な解釈が加わることになるので、混乱は目も当てられません。 とはいえ、ある程度の基本的なはなしだけでも押さえておくと、ラカンが性別化のマテームで、何をいいたかったのかは何…

神の数学

知らない話に首をつっこむべきではないし、生半可な知識は人に話すべきではないし、まあまあ、大人になると、黙っていた方が良いことのほうが、世の中にはいっぱいある、ということを痛感するわけですが、研究の都合上(しかも、ラカンのように思いつきで無意…

幸福の王子

「すべての人間は去勢されているか、いないかである」 というネタが前回から続いています。 まあ、論理的にはこの命題は真。だって、そりゃ二者択一の両方を候補にあげているんだから、どっちかには当たるでしょ?というのが、排中律のルール。 でも、前回は…

望み通りあなたを魚にします

約束をしてよ わたしと その甘い毒を 分けて 約束は遠い日が いい 場所だって困難なほど いい元ちとせ「約束」 詞:上田元 いきなりなんだという気もしますが、これ、昔とある後輩の修論に目を通していると、どうにもこうにも頭の中を流れてきた音楽です。(…

4月9日の補遺:しかし、女性の側にはそんなこと引き受けるなんらの理由もない、ということも、しかしながら、忘れてはいけないことです。だからこそ、性的関係はない、と言えるわけですから。次の引用箇所を見てください。

「性的行為というものの主観的なドラマ化の中で、女性を示し、女性に対象aの役割を押しつけるものは、その構造の中にあります。女性は問題のものを、つまりくぼみを、空虚を、この中央に開いた欠如というものを、女性が隠している限りにおいて。そして、これ…

性器の独占的排他的使用権

それでは、女性と見せかけの話、第三回目。前回までは、女性の「見せかけ」が行われる空虚の場、というところまで話を進めてきたのでした。ここで、セミネールの第18巻の段階から、20巻に至る過程で、見せかけという用語がその出典たるジョアン・リヴィエー…

スペインではもう1003人

さて、前回は女性の本質(?)あるいは男の嘆き節としての「見せかけ」について話をしてきたのでした。 「むしろ彼女は、私が《男》の倒錯と見なしている倒錯へと向かいます。これによって、彼女は周知の仮装に導かれるのです。この仮装は、そのありがたみのわ…