望み通りあなたを魚にします


約束をしてよ わたしと
その甘い毒を 分けて
約束は遠い日が いい
場所だって困難なほど いい

元ちとせ「約束」 詞:上田元

 いきなりなんだという気もしますが、これ、昔とある後輩の修論に目を通していると、どうにもこうにも頭の中を流れてきた音楽です。(ちなみになぜか大ピンチのときには、わたくしの脳内、バカ陽気にホロヴィッツがバカ弾きするドビュッシーの「喜びの島」が流れるという妙な癖があります。絵に描いたようにどうでもいい話ですが。。。)

 エディプス・コンプレックスにはあるねじれがあります。まあ気づいていてしかるべきだったのですが、気づいたのはその女性性を問題にした論文を読んだとき。
 女性のエディプス・コンプレックスというのは、当初からいろんな意味で問題含みでした。まず、女性には女性用に、エレクトラ・コンプレックスのようなものを用意するべきではないのか、という判断があります。この場合、女性をもエディプス・コンプレックスのなかに統合してしまうことは、フロイトの抜きがたい男性中心主義、男性標準化思想ということになってしまうのでしょう。
 もう一つは、逆に、男性にとってはエディプス・コンプレックスは消え褪せていくもの、とされている(簡単に言うと、お母さんをお嫁さんにするのはあきらめて、社会に出てお父さんより立派な大人になってお母さんよりきれいなお嫁さんをもらう、わけですね)のに対し、女性の場合、エディプス的関係にはいることが女性らしさの獲得、つまりエディプス・コンプレックスに参入することが、エディプス・コンプレックスの消褪期とされている、という点です。こちらも簡単に言うと、男の子と競争して自分がもっと大きいおちんちんを持っていると証明しようとすることはあきらめて、お父さんのお嫁さんになって赤ちゃんを産むの、という方向転換をすることですね。こちらのほうは、女性は家父長制に収まればいいというフロイトの根強い父権主義が、云々となってしまいます。まあ、どっちに転んでも評判の良いものではありません。

 しかし、ここは思いっきり話を切りつめて、去勢という問題に、さらにその去勢という問題を支えるある条件あるいは命題に話を絞ってみましょう。それは「すべての人間はファルスを有するか有しないかである。」という命題です。

 フロイト主義でこの命題が重要なのはよくわかります。なにせ、男の子は女の子を見て、この世にはファルスのない人間がいると気づく、そしてそれは「ファルスを取られてしまった」と解され、そしてそのファルスの有無を決定する超越的な第三者がいると思い(だいたいはお父さんですね)、そしてそいつにファルスを取られてしまわないよう、目標となる対象を母からそのへんの可愛い子ちゃんに切り替える、ということになっています。女の子の場合は、自分にはファルスがないのかも、いやこれがファルスなのかも、という問を経て、やがて自分にはファルスがないこと、そしてそのファルスは将来子供という形でもらえるのだ、ということを納得すること、とされています。

 そう、問題はこの「約束」。そして「すべての」という言葉です。

 すべての人間は、ファルスを有するか有しないかである。当たり前のような気がします。そして、将来生まれてくるあらゆる人間、無限の人間に対しても、この法則は当然当てはまる、というかこの命題は永遠の真であるということも。なぜならそれは論理的な真なのですから。排中律ですね。Pまたは¬P。
 ですから、男の子にとっては、この排中律、去勢という事実が認識されたその時点から、これまでもこれからも人間はみな、という、無限の領域を含む領域に適用されるものになります。つまり、この言明はわれわれの知識の状態の如何に関わらず(なぜって先のことも昔のこともわからないですからね)、つねに真なのです。
 だいたいが、男の子にとっては、ファルスはあってあたりまえ。無いと大問題です。ですから、無いのは、そりゃ取られた!ということ。0ではなくて、-1なのです。ラカンが去勢について、0ではなく-1だと力説していたことが思い出されますね。精神分析の用語では、剥奪privationということになりましょう。
 でも、女の子がこのやくざなゲームに巻き込まれる筋合いはありません。彼女たちは自分たちのことを-1と思う筋合いはさらっさらない。べつに、0でもいいのです。そうすると男の子たちは、「なんか意味のないおもちゃぶら下げているバカ」であり(そしてだいたいの場合大人になってもそのままであり)そんなものはなくてもべつに構わない。まあ、その気になればいくつだって私も作り出せるわよ、しかももっといいのを、ってところでしょう。このあとの内的な緊張関係や、異性との性的な敵対関係を経て、ファルスがある種の休戦地帯に思えてくる、ときが偶にはあるかもしれない、というのは、また全然別の論理を用意しなければならないはずです。

 次回からは、少しその話を考えていきましょう。