2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

おめえに喰わせるタンメンは

さて、前回から、ランシエールの「不和」を取り上げてきました。前回はイントロダクション代わりに「不和」という概念についてちょこっと説明をしたところで話を終えていたのでした。端的に言えば不和とは「聞いてない」ということで、同じルールが適用され…

5分だけでもいい

さて、このブログでときおりご登場いただいているM先生、わたくしにとってはもろもろの学恩ある学兄であると同時に、というかそれ以上にというべきか、大学生活を生き抜くに必要なもろもろの小悪事を伝授して頂いたありがたい先輩なわけですが、さいきんはど…

真理と過剰、あるいは過剰な真理

さて、この三回ほど、フーコーの「精神医学の権力」を論じてきました。前回は、フーコーのいう「真理の計略の次元l'ordre du stratageme de verite」(34)というところで話を終えたのでした。たとえばシャルコーの時代の例で言えば、安定した症状を出す代わり…

真理のストラテジー

さて、前回、前々回と、フーコーの「精神医学の権力」を取り上げてきました。前回は、フーコーが、自らが提唱する「出来事としての真理」の具体例を、精神医学における分利の概念のなかに見て取っている、というところを説明して話は終わったのでした。 この…

カイロス的真理

さて、前回はフーコーの「精神医学の権力」について、読後に残ったちょっとした違和感は何なんだろう、と思いながら、その理由を探るべく本の内容を簡単に整理しよう、というかけ声で終わっていたのでした。まあ、ともあれ普遍的な内容を少しでも含まないと…

フーコーの風向

時折意外だなと思うことの一つに、身近な知り合いの精神科医のあいだで、あまりフーコーが評判がよくないということがあります。 評判がよくないではちょっと言葉が強くて語弊がありますね。すぐに言葉を改めましょう。どうも、ぴんと来ないというか、あまり…

ことばの下のことば(4)

さて、長々と続いたジャン・スタロバンスキーの「ソシュールのアナグラム 語の下に潜む語」(金澤忠信訳、水声社、2006)も今回で一応のオチ、ということで、最後は精神分析的な立場からの考察、というより見通しを触れておきましょう。二つめの搦め手、テレパ…

ことばの下のことば(3)

さて、前回、前々回から扱っている、いよいよ邦訳なったジャン・スタロバンスキーの「ソシュールのアナグラム 語の下に潜む語」(金澤忠信訳、水声社、2006)でございますが、前回は、ソシュールが「アナグラムの作法はきっと詩人達の間に密かにしかし明示的に…

ことばの下のことば(2)

さて、そんなわけで、先日来お話ししているジャン・スタロバンスキーの「ソシュールのアナグラム 語の下に潜む語」(金澤忠信訳、水声社、2006)について、まずは少しずつ読んでいってみましょう。もっとも、1971年刊行のこの著作、けっして分量が多いわけでな…

ことばの下のことば(1)

散歩がてら、川沿いの道を下って近所のホームセンターまで出かけてみました。 4月最初の週末のホームセンターはひどく混み合っていました。それもちょっと変わった客層で。微妙に身の丈に合わないコートを着た若者と、その親とおぼしき二人連れがたくさん。…