真理のストラテジー

 さて、前回、前々回と、フーコーの「精神医学の権力」を取り上げてきました。前回は、フーコーが、自らが提唱する「出来事としての真理」の具体例を、精神医学における分利の概念のなかに見て取っている、というところを説明して話は終わったのでした。

 このタイプの思想は、むしろ中国的伝統にもそれなりになじみのある我々には比較的理解しやすいかもしれません。それこそ、「史記」の「扁鵲倉公伝」あたりから、病にはそれに固有の周期があるということが縷々と述べられていますし、それにふさわしい時期を選んで介入する医師の手業もまた語られています。ついでながら言うと、フロイトのお友達でお手紙の相手だったフリースは生命の23日周期あるいは28日周期という珍妙な説を軸に宇宙論まで展開していたりするのですから、洋の東西を問わずこの種の思想の根強さがわかろうというものです。ピーター・ゲイの「フロイト」の記述によれば当時はかなり名声を持ちまた受け入れられていたということのいうですから、まあまあバカにしたものではありません。ちなみに、フリース先生には鼻と女性器の類似という面白そうな(あるいはWINSの近所で下世話なことにツウなおじさんがそれらしく語ってくれそうな)説もあったりして見逃せません。主著は一応Der Ablauf des Lebensあたりでしょうか。エランベルジェが言うように、数秘学者といったほうが良さそうな感じではありますが。

とはいえ、説明としては分利だけではちょっと弱いのじゃないかしら、というの気もするのですが、これをもうちょっと一般的な事例に敷衍することのできそうなケースとして、フーコーは18世紀末から19世紀初頭のいくつかの症例を挙げています。そこで使われているのは、フーコーに言わせれば、「真理の計略の次元l'ordre du stratageme de verite」(34)に属する手立て。
 その手順はこうです。まずは、患者の妄想の真理を承認するような手立てを講じます。そうすると、患者さんの話の中で何が病因とされているのかを聴くことができます。そうしたら、そのお話、というか妄想の内部で病の原因となっているものから、患者さんを開放する手立てを考えればいいのです。「妄想が実行に移され、妄想に現実性が与えられ、妄想が真正なものと認められると同時に、妄想における原因をなす者が除去されるとき、妄想そのものが清算されるための条件が整います。」(36)「妄想において原因として機能しているものが、現実に、しかし妄想にとって潜在的に受け入れられうるような形で除去される」(36)とフーコーは述べています。

 さて、こうした真理の概念は、みなさまおわかりのように我々にはとてもなじみがなく、古くさく感じられるものです。そういうのは、「認識としての真理」に駆逐された、ということになっているといわれても、特に異議を唱える人はいないでしょう。しかし、先ほども述べましたように、フーコーのプロジェクトはこの「認証としての真理」が「出来事としての真理」を果たして完全に手を切っているのか、あるいは駆逐し得たのか、ということを論じることにあったわけです。だから、ここで精神医療の現場が選ばれたことは、とても単純な動機に基づいています。ひと言で言えば、このジャンルが隙だらけだから。そこかしこで古めかしい「出来事としての真理」を産出させるプロセスが残っているから。たとえば、これです。


「パストゥール的な病院において、病の「真理を産出する」という機能は、弱まり続けていった。真理を産出する者としての医師が、認識の構造において消え去るということである。逆に、エスキロール的ないしシャルコー的な病院において、「真理の産出」の機能は、医師という人物を中心として、肥大し、強められていく。」(345-6)

 そして、こうした「隙」あるいは「出来事としての真理」の復活を引き起こしているのは、この文章だけを引っ張ってみるとそう思われてしまうように、「精神医学が遅れていてかつ精神科医が傲慢に患者に自分の見方を「精神病院の権力によって構成された行政上かつ医学上のある種の現実」(160)を押しつけるから」ということではありません。(たまにそう言いたそうな雰囲気を感じないこともありませんが)そうではなく、それは患者の側の逆襲があるからだ、とフーコー先生は言うのです。


「偽装が、狂人たちにとって、現実のみを彼らに課そうとする精神医学の権力に対して無理やり真理の問題を提起するためのひそかなやり方であったということを認めるならば、精神医学の歴史を、もはや精神科医とその知を中心として展開されるものとしてではなく、狂人を中心として展開されるものとして辿ることができるだろうと、私は思うのです。」(138)

 さて、ここでこうした権力、より正確には諸勢力間の駆け引きと均衡によって構成される真理という問題を認めるなら、たとえばシャルコーの時代の患者と医師の駆け引きが別の形で浮かび上がってくることになります。
 医師の側の要求は簡単で、「安定し、コード化され、規則的であるような症候を差し出したまえ。」(311)ということになります。もちろんどのジャンルでもととくに珍しい症例は貴重なものですが、とりわけ新参者で安定した地位を学問領域のなかに築くことが課題であった神経学にとってはその問題は焦眉です。つまるところ、ヒステリー患者が規則的な症候を提供してくれるかどうかで神経科医の地位が保証される、という患者の医師にたいする優位があるのだ(312-3)とフーコーは述べています。
 もちろん、患者の側にも得があります。精神病院の狂人から、病院の中の病人である権利を獲得することができるのです。そして狂人から病人へというのは、世間体だけの問題ではなく、実質的な利益も絡んでくるだけに大事な問題なのです。フーコーは言います。


シャルコーは、一八七二年にヒステリー癲癇に携わるようになり、一八七八年に催眠を開始します。これは労働災害鉄道事故、そして事故や疾病に対する保険機構の時代です。労働災害がそこから始まったというのではありませんが、医療実践の内部で、この疾病の絶対的に新しいカテゴリーが現れ始めた瞬間に立ち会っているのです。残念なことに医学史家は滅多にこのことに言及しませんが。金を払う、あるいは保護される、そのどちらでもない患者が出現します。・・・それは保険を受給する患者というカテゴリーです。」(314-5)

 なるほど、たしかに事情は一つの権力抗争とその落としどころ、としても理解できそうな気がしてきます。精神医学にとっては、患者が安定した症状を出してくれないことには、まずモデルができません。それが催眠によって常に人工的に再現可能であれば、いってみればそれは誰にでも追試可能なかたちで症状のモデルを構成することが出来るということです。でもそれが病院内での人工的症状、いってみればある種の医原病であっては困りますから、鉄道事故などの外傷によってある意味自然的に発生する症状とその人工物が綺麗に重なり合ってくれなければなりません。おまけにそうなれば、外傷というのが常に病因で、外傷神経症は当然事故等で偶発的に生まれ、催眠はその外傷状況を人工的に軽微な形で作り出すのだ、ということで、二つを一貫した見通しにのせることができます。

 なるほど、確かにフーコーの見解は非常に説得的に思われてきます。しかし、そのなかで、ひとつ刺さったとげ、「ヒステリーの勝利」への凱歌の中に見られる「勝利」のモデルとこの「真理の駆け引き」の不整合さ、その点について次回は話しつつ、まとめにはいることにしましょう。