5分だけでもいい

 さて、このブログでときおりご登場いただいているM先生、わたくしにとってはもろもろの学恩ある学兄であると同時に、というかそれ以上にというべきか、大学生活を生き抜くに必要なもろもろの小悪事を伝授して頂いたありがたい先輩なわけですが、さいきんはどこをどう間違ったか(とM先生の旧友兼悪友のM山さんがゆうてました僕じゃありません)正義論を軸のひとつに据えた構想を練っているらしく、時折その話を伺うこともありました。まあ、唯腸論よりはだいぶ学術的な枠にはめやすいことは確かです。間違いなく。

 そのなかのトピックのひとつに、公正な分配という見方でなんとなく固まっているかに見える昨今の正義論に対するアプローチに対する批判も含まれていたのでした。とはいえ、なにせロールズはたぶん同情してくれそうもないけど(やなヤツそうだし勘だけど)もしかしてセン博士なら同情してくれるかもしれない長年の怒濤の貧困生活にあえぐ我が身。いやとりあえず分け前が回ってくるならそれだけでもいいです、と、CPE法案に微妙に心惹かれているバンリューの若者のような顔をしながら聞いていたわけですが、満開の半木桜の御利益かひょんなことからこの問題が自分の関心と思わぬところで交錯する手掛かりを得ることになったのでした。まこと、糟糠に飽ずと雖も一書を求むるに惜しむ勿かれ、とはよく言ったものでございます。ああ、ちなみにこれ、わたくしの言葉ですからありがたみはありません。間違っても引用はしないで下さい。

 で、そのありがたい本はこちら。ジャック・ランシエール「不和あるいは了解なき了解 政治の哲学は可能か」(松葉祥一、大森秀臣、藤江成夫訳、インスクリプト、2005)でございます。
 ランシエールは元アルチュセールのお弟子さん。すでに「資本論を読む」に収められた論文の邦訳もありますが、単著はこれが始めてですね。そうそう、ごく短い諸作ですが「美学的無意識」(堀潤之訳、『みずず』2004.5)も訳出があることもあげておきましょう。

 ランシエールに関しては、現代思想(1995年4月号)にのった「歴史修正主義と現代のニヒリズム」を(それにしてもなぜこれが可能世界論の特集号に載っていたのだろう)発売当初に読んで、とても共感するところがあったことを懐かしく思い出すのですが、それにしてもアルチュセールのお弟子さん、というところでどうにも敷居の高い人でした。アルチュセール本人はあれで意外に純情可憐なというか、強面そうにしている割に隙があるというか正直者というか、どっかしら気持ちの入れやすい文章の人だったのですが(アルチュセールラカンの書簡を見るたびに、こんないい人がどうしてあんな大悪党に関わっちゃったんだろう、と思うほどです)お弟子さんたちは賢いんだろうけどサイボーグ、みたいな印象があったのです。そうはいっても、昨今のフランスの政治状況の中で発言も多いというし、邦訳も出たついでに読んでおこう、と思いたったがことのはじまり。それでは、若干こちらの興味に引きつけつつ、読んでいくことにしましょう。

 本書のタイトルは不和mesentente。ententeは聞いてるentendreの名詞形。だから、否定がつくと「あいつら聞いちゃねえ」ということになります。俺の話を聞け、5分だけでもいい、というところでしょうか。だから、相手の言うことを理解してない、誤解だ!というmeconnaissanceでも、語に明確に定義された意味がないことから生じる誤解malentenduでもない、と、まずランシエールはこの言葉の輪郭を描いていきます。「不和は、一般的に、話している人間の状況そのものに関わる。」(12)と。でも、リオタールが「文の抗争」でテーマにするような、争違differandという言葉で示したものとはことなり、文と文の制度が異質であるとか、異質なジャンルを判定する規則がないという問題とも関係しないのだ、といいます。つまりは、もの凄く普通の話なのです。どっちかというと、リオタールで言うなら係争に近い。この概念は、二人の当事者双方に等しく適用される判断規則が存する場合の争いを指すのですが、不和もまた、お互いに同じ規則の下にあり、同じ対象を見ているはずなのですが、どうも一方にはこの対象が見えていない、あるいは気にも留めないでいいようなものにしか見えていない、という事情を指します。まあ、聞いちゃいねえというくらいですから、言ってる意味はわかってるでしょ、というのが前提にあることは確かです。

 ふむふむ、まあ、そういう状況はなんとなく身の回りでもありがちですし、理解できないことではありませんが、それにしても、じゃあなんでそれがわざわざタイトルにするくらい大事なの?と、誰しも思います。リオタールの争違differandなんて、ほら、ちょっと多文化社会の共生とか、そんなテーマに使えそうでおしゃれですが、こっちはあんまりおしゃれじゃない。

 ここで登場するのが、くだんの分配と間違い、そして正義という問題です。
 それでは、次回はこの一見するとごくごく平凡な「不和」という状況からランシエールが何を切り出すのかを、ゆっくり見ていくことにしましょう。