ことばの下のことば(2)

 さて、そんなわけで、先日来お話ししているジャン・スタロバンスキーの「ソシュールのアナグラム 語の下に潜む語」(金澤忠信訳、水声社、2006)について、まずは少しずつ読んでいってみましょう。もっとも、1971年刊行のこの著作、けっして分量が多いわけでなく(邦訳でも200頁弱ですし)、また至って明晰な内容ですから、ラカンの読者という立場から、に焦点を合わせてお送りしてみたいと思います。というか、アナグラムの技術的な問題の解説は正直わたくしの能力の及ぶところではない、ということもありまして。。。

 でもアナグラムについての説明をまるっきりなしで済ませるわけにもいきませんから、まずはちょっとおとぎ話にしてみましょう。時は、そう、キケロの時代くらいが良いですね、紀元前1世紀。場所はイタリアのどっかの田舎町くらいにしておきましょう。その街に住む詩人、名前はAさんでもなんでもいいですが、味気ないのでアントニオ・アントニウスアントニーノくらいにしておきましょう。やる気もリアリティもない名前ですね。

 さて、くだんの貧乏詩人。もちろん詩人で喰っていけるわけもないですから、本業というものがございます。お仕事は墓碑銘やら冠婚葬祭のスピーチやらお祈りやらの代筆業。〆切厳守と1文字1円の明朗会計が売りです。実際にそういう職業があったのであろうかとか、そういう通貨単位であったであろうかとか、細かいことはちょっと自信がありませんが。
 さて、しかし、この仕事、決して楽ではありません。なんと言ったところで、一応師匠直伝の秘伝の口伝(武勇伝デンデデンデンみたいになってますが)がございまして、それを守らないことにはこうした詩編は効力も半減してしまうのです。それは、墓碑銘であればお亡くなりになった人のお名前、お祝い事であれば担当省庁の神様の名前やらを、詩句のなかに織り込まなければならないのです。それもそのまままるっと引用するとか、そんなブサイクなことではいけません。その名前やらなんやらの音節をその詩の一行に織り込んでいくことに腕の見せ所があるのです。古典の詩には、韻に代表されるような、なにかしらのルールというか制約がつきものですが、これもまあその一環です。アナグラム。ああ、なんと頭が、くらくらするくらい、むずかしいことでしょう。あの墓碑銘も、名もない詩人のやっつけ仕事、くらいに見えて、無視されてる。けれど、あそこには、何世紀も、暗闇のうちに授けられた、昔からの秘伝が生きているのです。哀れアントニオ・アントニウスアントニーノは今日も、泣き言まじりに酒をかっくらいながら、無茶な〆切に間に合わせようと必死です。。。

 ・・・やってみると4行くらいでギブアップですね。ああ、ちなみにもちろんソシュールの分析ではこんなインチキいい加減なのをアナグラムといっているわけではありません。厳密なルールと構造があります(っていうかこれじゃアイウエオ作文だよ・・・)。あくまでその場しのぎの説明のために、何とかでっち上げた、くらいの、無理だらけのパロディー程度に思って下さいませませ。

 けれど、もしちょっと強引にソシュールがイメージしていたことを戯画化してみると、こんな風かもしれません。ソシュールギリシア叙事詩におけるアナグラム論の基本はこういうものです。いや、だったようです。いや、かもしれない。なにはともあれ、ソシュールの推察によれば、まず起源においては呪文、祈祷、葬送、演劇合唱など叙事詩の分類に収まる4から8の詩行からなる詩句しかなかった。そして、それらにはテクストに神の名を混入させるという条件の下でしか効果がない、という宗教的な考えがあった、という可能性はあるだろうと(74)。スタロバンスキーの解説によれば


「テクストが産出されるには、必ずひとつの独立した語を経由する−その語は当該文章の名宛人もしくはその主題に関係している−これは詩的言語の成立にとって基礎となるいくつかの特権的音素へと接近する道でもあり、それらの収蔵庫でもある。」(32)

そして、その織り交ぜ方がアナグラムということになります。アナグラムといっても実際には音韻に関係するので、書字のニュアンスは薄いものです。このあたりはラカンアナグラム論との違いで面白いところでしょうか。ラカンにとってはアナグラムエクリチュールの典型であり本質でした(1974.4.9)。
 まあそれはそれとして、この場合の名宛人あるいは主題が、テクストの全体を構造化していくことになります。種子の中に、すでに木全体が含まれているように。


「伝統的なフランス詩法における脚韻と同様に、アナグラムは詩作の制約のひとつとなった。原初の詩にとっては神の名が唯一受け入れられる<テーマ - 語mot-thème>をなしていたという仮説をそっくり踏まえつつ、ソシュールは人命、付加形容詞、地名、普通名詞をも後代の詩に見出した−これらのものはすべて同じ種子的機能fonction séminaleを備えている。」(76)[61]

一部こちらで任意に原語を足している関係もあって、一応前の丸括弧の訳書の頁数の後ろに、角括弧で原著の頁数を足してあります。ご了承下さい。

ということになります。mot-thème、なんとなく語感がラカンの数学素(マテームmathème)みたいですね。やっぱり、音素phonemeとかの接尾辞-emeの韻も踏んでいるということでしょうか。

 さしあたり、この説の真偽を問うことはわたくしの興味の外でもあり能力の外でもあります。ソシュールはあり得べき反論をいくつも想定しては必死に戦っていた様子が、この著作からはうかがえます。見つける奴が強引に探し出してるだけじゃないの、という観点からは、アナグラムは十分な数がなければならず、別にどこにだって見つかるもんじゃないの、という観点からは、多すぎてはいけない。じつに難しい話です。後者はちょっとわかりにくいですが、漢詩を例にすればすぐに分かります。中国語のように単語の音節が短く同音異義の多いことばでは、たぶん見つかりすぎることでしょう。このどっちつかずの確率が、ソシュールの立場を曖昧な場所に追いやることになります。


そういえば、この著作でのソシュールの『確率=機会chance』ということばの使い方は非常に印象的です。だれかそのことを考察している人はいないのか、詳しい方にお伺いしてみたいところです

 さて、ソシュールは慎重にも、なぜそういうものが存在するのかをどうあっても述べようとする主張は事実を踏み出る越権行為であると考えていたそうです(75)。しかし、ソシュールは当時のラテン詩人にそうした伝承がないのかを問い合わせる手紙を送っています。


「イポグラムは多少とも秘密裡に師から弟子へと伝承される意識的手法である、という仮説から出発したソシュールは、現代におけるラテン詩作法の数少ない実践家のうちの誰かから確証が得られるのではないかと、最終的に期待したのだろう。」(180)

 結局返事はありませんでした。そのことにソシュールはがっかりしたことでしょうし、それが最終的にこの論考の出版を見送った理由の一つになったかもしれません。奇妙なことに、ソシュールが気に掛けていたのは「産出する心的能力(想像力)ではなく、先行する(言葉的・歴史的)事実」(26)であったとスタロバンスキーはいいます。

 このことは、ひどくフロイトの「狼男論」を思い起こさせないでしょうか?前回の話で、ちょっと搦め手からの興味、一つには狼男論、一つにはテレパシー論、と述べましたが、その一つめは、このソシュール的狂気の故にです。次回からは、そのあたりを話していきましょう。


 さて、そんなわけで、先日来お話ししているジャン・スタロバンスキーの「ソシュールのアナグラム 語の下に潜む語」(金澤忠信訳、水声社、2006)について、まずは少しずつ読んでいってみましょう。もっとも、1971年刊行のこの著作、けっして分量が多いわけでなく(邦訳でも200頁弱ですし)、また至って明晰な内容ですから、ラカンの読者という立場から、に焦点を合わせてお送りしてみたいと思います。というか、アナグラムの技術的な問題の解説は正直わたくしの能力の及ぶところではない、ということもありまして。。。

 でもアナグラムについての説明をまるっきりなしで済ませるわけにもいきませんから、まずはちょっとおとぎ話にしてみましょう。時は、そう、キケロの時代くらいが良いですね、紀元前1世紀。場所はイタリアのどっかの田舎町くらいにしておきましょう。その街に住む詩人、名前はAさんでもなんでもいいですが、味気ないのでアントニオ・アントニウスアントニーノくらいにしておきましょう。やる気もリアリティもない名前ですね。

 さて、くだんの貧乏詩人。もちろん詩人で喰っていけるわけもないですから、本業というものがございます。お仕事は墓碑銘やら冠婚葬祭のスピーチやらお祈りやらの代筆業。〆切厳守と1文字1円の明朗会計が売りです。実際にそういう職業があったのであろうかとか、そういう通貨単位であったであろうかとか、細かいことはちょっと自信がありませんが。
 さて、しかし、この仕事、決して楽ではありません。なんと言ったところで、一応師匠直伝の秘伝の口伝(武勇伝デンデデンデンみたいになってますが)がございまして、それを守らないことにはこうした詩編は効力も半減してしまうのです。それは、墓碑銘であればお亡くなりになった人のお名前、お祝い事であれば担当省庁の神様の名前やらを、詩句のなかに織り込まなければならないのです。それもそのまままるっと引用するとか、そんなブサイクなことではいけません。その名前やらなんやらの音節をその詩の一行に織り込んでいくことに腕の見せ所があるのです。古典の詩には、韻に代表されるような、なにかしらのルールというか制約がつきものですが、これもまあその一環です。アナグラム。ああ、なんと頭が、くらくらするくらい、むずかしいことでしょう。あの墓碑銘も、名もない詩人のやっつけ仕事、くらいに見えて、無視されてる。けれど、あそこには、何世紀も、暗闇のうちに授けられた、昔からの秘伝が生きているのです。哀れアントニオ・アントニウスアントニーノは今日も、泣き言まじりに酒をかっくらいながら、無茶な〆切に間に合わせようと必死です。。。

 ・・・やってみると4行くらいでギブアップですね。ああ、ちなみにもちろんソシュールの分析ではこんなインチキいい加減なのをアナグラムといっているわけではありません。厳密なルールと構造があります(っていうかこれじゃアイウエオ作文だよ・・・)。あくまでその場しのぎの説明のために、何とかでっち上げた、くらいの、無理だらけのパロディー程度に思って下さいませませ。

 けれど、もしちょっと強引にソシュールがイメージしていたことを戯画化してみると、こんな風かもしれません。ソシュールギリシア叙事詩におけるアナグラム論の基本はこういうものです。いや、だったようです。いや、かもしれない。なにはともあれ、ソシュールの推察によれば、まず起源においては呪文、祈祷、葬送、演劇合唱など叙事詩の分類に収まる4から8の詩行からなる詩句しかなかった。そして、それらにはテクストに神の名を混入させるという条件の下でしか効果がない、という宗教的な考えがあった、という可能性はあるだろうと(74)。スタロバンスキーの解説によれば


「テクストが産出されるには、必ずひとつの独立した語を経由する−その語は当該文章の名宛人もしくはその主題に関係している−これは詩的言語の成立にとって基礎となるいくつかの特権的音素へと接近する道でもあり、それらの収蔵庫でもある。」(32)

そして、その織り交ぜ方がアナグラムということになります。アナグラムといっても実際には音韻に関係するので、書字のニュアンスは薄いものです。このあたりはラカンアナグラム論との違いで面白いところでしょうか。ラカンにとってはアナグラムエクリチュールの典型であり本質でした(1974.4.9)。
 まあそれはそれとして、この場合の名宛人あるいは主題が、テクストの全体を構造化していくことになります。種子の中に、すでに木全体が含まれているように。


「伝統的なフランス詩法における脚韻と同様に、アナグラムは詩作の制約のひとつとなった。原初の詩にとっては神の名が唯一受け入れられる<テーマ - 語mot-thème>をなしていたという仮説をそっくり踏まえつつ、ソシュールは人命、付加形容詞、地名、普通名詞をも後代の詩に見出した−これらのものはすべて同じ種子的機能fonction séminaleを備えている。」(76)[61]

一部こちらで任意に原語を足している関係もあって、一応前の丸括弧の訳書の頁数の後ろに、角括弧で原著の頁数を足してあります。ご了承下さい。


ということになります。mot-thème、なんとなく語感がラカンの数学素(マテームmathème)みたいですね。やっぱり、音素phonemeとかの接尾辞-emeの韻も踏んでいるということでしょうか。

 さしあたり、この説の真偽を問うことはわたくしの興味の外でもあり能力の外でもあります。ソシュールはあり得べき反論をいくつも想定しては必死に戦っていた様子が、この著作からはうかがえます。見つける奴が強引に探し出してるだけじゃないの、という観点からは、アナグラムは十分な数がなければならず、別にどこにだって見つかるもんじゃないの、という観点からは、多すぎてはいけない。じつに難しい話です。後者はちょっとわかりにくいですが、漢詩を例にすればすぐに分かります。中国語のように単語の音節が短く同音異義の多いことばでは、たぶん見つかりすぎることでしょう。このどっちつかずの確率が、ソシュールの立場を曖昧な場所に追いやることになります。

そういえば、この著作でのソシュールの『確率=機会chance』ということばの使い方は非常に印象的です。だれかそのことを考察している人はいないのか、詳しい方にお伺いしてみたいところです。

 さて、ソシュールは慎重にも、なぜそういうものが存在するのかをどうあっても述べようとする主張は事実を踏み出る越権行為であると考えていたそうです(75)。しかし、ソシュールは当時のラテン詩人にそうした伝承がないのかを問い合わせる手紙を送っています。


「イポグラムは多少とも秘密裡に師から弟子へと伝承される意識的手法である、という仮説から出発したソシュールは、現代におけるラテン詩作法の数少ない実践家のうちの誰かから確証が得られるのではないかと、最終的に期待したのだろう。」(180)

 結局返事はありませんでした。そのことにソシュールはがっかりしたことでしょうし、それが最終的にこの論考の出版を見送った理由の一つになったかもしれません。奇妙なことに、ソシュールが気に掛けていたのは「産出する心的能力(想像力)ではなく、先行する(言葉的・歴史的)事実」(26)であったとスタロバンスキーはいいます。

 このことは、ひどくフロイトの「狼男論」を思い起こさせないでしょうか?前回の話で、ちょっと搦め手からの興味、一つには狼男論、一つにはテレパシー論、と述べましたが、その一つめは、このソシュール的狂気の故にです。次回からは、そのあたりを話していきましょう。