可能性の贈り物


 前回は、性別化のマテームに、ちょいと様相論理を掛け合わせてみたのでした。
 では、この様相論理と性別化のマテームの組み合わせから、何が読み取れるでしょうか。そのへんを手短にまとめて、この全10回となった少々長すぎる駄弁のまとめに代えましょう。
 アリストテレス排中律を思い出しましょう。アリストテレスの『命題論』のたとえのなかで、可能、とは、明日海戦は起きるか、起きないかである、とされていました。排中律によれば、どちらかの命題は真であることになります。だが、それは今現在の時点で明日のことを予言できる、という意味、つまり、決定論なのだろうか、という疑問が出てくるのだ、とヴリクトが指摘していたことは書きました。ちなみに、ラカンが様相論理を書くときに元ネタにしたのはヒンティッカですが、ヴリクトはヒンティッカのお弟子さんにあたります。ちょっと偶然。

 さて、もしそうだとするなら、もし男が「すべての人間は去勢されているかいないかである」という命題を排中律に従って取り、未来を確言できるものとして提示していたのなら。そこに、「異-性Autre sexe」の入り込む余地はありません。この意味での(アリストテレス的な意味での)可能は、じつは不可能なのです。
 逆に、もし男が何らかの形でそれを破るのだとしたら、どうでしょう。つまり、男の言が、「少なくともひとつ」(必然)の否定を「不可能」でないかたちで行うことができたのなら。それが、排中律が適用される世界ではそうであるように、必然が不可能と対になるのではなく、そこでは必然が可能と対になるというロジックがあるのかもしれない、ということの意味だったとしたら。つまり、排中律を破るような、未来の不確定をもたらすような意味で述べることができたのなら。
 そこに、不安の裂け目が開かれます。そこが、偶然を可能にする根拠でもあります。つまり、パロールとしての可能、あるいは《他者》の享楽が書き込まれる場、としてのファルスへ。そして、そこへ化身していく女性に。


「女性達は去勢しえない、なぜならファルス、私はここでもまだそれが何であるかいっていないということを強調しておきますが、彼女たちはファルスをもっていないからです。原因としての不可能性から、女性は去勢に本質的には結びつけられていない、という瞬間から発して、女性への接近は、その非決定性において可能となるのです。」(1972.1.12)

 そう、すべての女性たちは、現実的に去勢されています。ですから、彼女たちを去勢というルールに放り込むことは不可能なのです。「すべての人間は去勢されている」は、それが男性の側の象徴的な命題である限り、この現実的なものに突き当たってしまって、つねに不可能なのです。本質的ではない。しかし、そこにもう一つのチャンスが生まれます。この場合男の側に必要なのは閉じた二項対立、二者択一としての排中律を成立させる『例外』としての原父を、おそらくは「殺す」のではなく、たぶん「証明不能ないし証明未遂」の位置に追い込むことです。それは、女性に対してはある意味で誘惑であり、ある意味で約束でもあることになるでしょう。それが、「可能」としてのパロールを贈ることなのかもしれません。『君は私の妻』パロールが本質的に(少なくとも女性にとっては)つねに(誘惑に満ちた)約束であるとしたら、そしてそこに時制が関与してくるとしたら、それはこうした構造によるものです。そのことは、女性が時としてその決意によって偶然へと身を変じることを可能にします。享楽のメタファーとしてのファルスへ。そして、その《他者》の享楽が《他者》の空虚でもあるという意味で、無からの創造という、昇華の行為へ。つまり、すべての女性が「ファルスの機能を知らない」=不可能なわけではないのです。

 もう一つ言っておけば、これはdireとditeのあいだの、語ることと語られたこととの、非常に淡い、つかの間の瞬間にしか起こらないことなのかもしれません。何回か書いたように、direは偶然に、しかしditeは必然に(ちょっと強引かもしれませんがやろうと思えば出来なくもないかもしれないという程度に)位置づけられるものです。でも、direは一瞬でditeになっちゃいますよね。だとしたら、それは口を開いて、その言葉が固まってしまう前、そのほんのわずかのあいだにしか成立し得ないものなのかもしれません。

 話が長くなりました。たぶん、セミネールの20巻の前後数年のラカンの思索の流れを、ある断面から追ってきたのだ、といってもいいのでしょう。
 20巻についてひとに訊かれたのは、もう10年以上も前になります。ずいぶん分厚いレジュメを作ったのですが、結局うまくできなくて渡すのはやめました。今こうして、また考えをまとめ直したといっても、もうそれを見せることもないのでしょうが、それにしても、たぶん10年たっても以前同様の不明瞭さが全開、たぶんちっともわかりやすい説明にはなっていないのでしょうね。人間なかなか賢く成長はしないものです。。。