おひかえなすって

鮎を買い、枝付きの枝豆を買い、おまけに帰り道では(私にとってはですが)初蝉を聞き、と、どうも夏気分な一日です。さすがにビールは遠慮しましたが、もうすっかりおじさん気分。いや、実際おじさんですが。

対照的にシェリングの著作をいくつか(というほどいっぱいではないのですが)読み進めながら思うのは、この時代特有の初々しさ。いまでこそどうも分が悪い「主体」ですが、こうした著作からは、自己意識、自分が自分を意識すること、その分裂、そして時空や因果の系から独立した主体という謎めいた空間に対するみずみずしい興奮を感じ取ることが出来ます。たぶん、この成立間もない空間に対する感興を抜きにして、この概念を批判していくことは、余り意味がないことなのではないでしょうか。

今回はシェリングの論の内容を見る前に、その「みずみずしい感興」について。かつて東洋史の泰斗宮崎一定先生は、儒教についてこんなことを書いています。今でこそお題目お説教形式論みたいに言われる儒教ですが、これは地縁血縁の共同体、つまりは村、というか邑に支えられてきた春秋時代の共同体が、戦国期に掛けて、農業生産の飛躍的な発達や人口増、そして軍事戦略の変化等々を受けて崩壊し、都市国家に再編されていく時代に、この時代を支える新しい理念として成立したのだ、と。

ですから、現代でもやくざやさんが仁義を切り任侠を語るのは、とても自然なことなのです。この当時の都市は、共同体の背景を持たない自由民というか流民の群れ、いわば社会のはみ出しものの群れです。そのはみ出し者たちを秩序化していく倫理、というのが、初期儒教の果たした大きな役割の一つでした。実際、前漢初期の儒教の担い手は、もしかしたら今なら任侠の徒といわれるかもしれない、面倒見のよい名望家たちであり、国家はむしろ黄老的でした。もちろんそれが後々国家に吸収されていくわけですが、その辺のご先祖の記憶がやくざやさんたちに残っている、というわけでしょう。

このスタンドアローンな「主体」たちが、どういう状況下で成立したのか。フランス革命etc...しかしそれはまた、今後の検討課題でしょう。ともあれ、いま考えるべきなのは、どのような哲学も同時に時代の新しい倫理を探求するとても社会的な試みだったのではないかということです。そしてそれが語る人間像は、どこかで崩壊した社会を再編するためのものだったのであろうと。

まあ、この種の疑似歴史化がそれ特有の危険を伴っていることは、決して否定出来ないことではありますが、しかし限りなく内在的にその哲学の歩みに沿っていくことで逆説的に浮上する歴史性、そこまでたどり着ければいいなあという今日この頃です。

明日くらいが満月ですかね。