こわれたレコード

今回は前回の続き。引きつづきLacan, Seminaire XVII, "L'envers de la Psychanalyse"からp.180-182の読解です。


0,1,0,0,0,1......そんな0と1の羅列。その数字の羅列はしかし、例えばラカン自身のたとえでは3つずつ、区切られて、さらにそのユニットを3つずつまとめて・・・という作業の繰り返しによって、ある種の自律性を獲得していきます。そのまとまったユニットをそれぞれの区分に合わせてα(000)β(001)といったように名づけていきましょう。キットラーがいうように、このαβの出現頻度を記録して、それを例えば英文でのアルファベットのそれぞれの文字の出現頻度と対応させて置き換えます。例えば一番多いパターンがαだったとすると、それは一番多く出現するとされるeだ、とするわけですね。するとそれはかなり文章らしくなります。同じことを更に精緻化して、単独の文字の出現頻度ではなく2文字の組み合わせの出現頻度、とかそんな感じにレベルを上げていくと、さらに文章らしくなります。

この話のミソは、単に0,1の区別とその区切り、まとめ、そんなことからだけでも意味は析出してくるのであって、あらかじめ意味を持った情報を、解読コードを持ち合わせた主体が受け取り、そのコードに合わせて解読するのではない、というところにあります。かなり強引な読みですが、わたしはラカンハイデッガー風にいえば言語の側が考える、あるいはレヴィ=ストロース風にいえば神話がわれわれを考える、といったような、そんな流れを情報科学の中に見いだし読みとった、そんなふうに考えています。ディスクールの効果としての主体、それはこんな思想的背景状況があって生まれているのではないでしょうか。

この時主体とはなんでしょう。主体とは、世界の情報の中から、どこに閾値を見いだし、なににこの1を見いだすか、そのことによってあとは自動的に編成されていく秩序の世界の住人です。つまり、主体とは(少なくともその主体の個有性とは)この1だ、といってもかまわないかと。というか、この1に気づいたあと、遡及的に主体はその世界と共に再構成され、その世界の中に、その1をみずからの個有性の徴として見いだす。「だからか〜」と。

ですから、もし主体自身の自律的な思考というのがあるとすれば、それはある意味ではその1を見いだすこと、そのごくごく簡単なことだけなのかもしれません。しかし、その時点で主体は未だ主体ではなく、ただの1の等価物でしか在りません。

この繰りかえされる1。それはフロイト風にいえば、運命神経症の中で繰りかえされる運命であるかもしれません。そして、外傷と固着の理論に従えば、そのように反復されるものは、実際は生のなかの、美しくも相互的なコミュニケーション、何もかもが意味に満ち、そして相互にその充実した意味が取り交わされる、その断絶の瞬間、情報の意味0のノイズの発生の瞬間とされています。離乳が外傷経験になり、口唇期的固着が起き、そこから症状が構成されるとしてみましょう。主体は、その反復を見いだし、その組織化によって、逆行的に、溯及的に自分を構成することになります。

興味深いのは、人間はここで、コミュニケーションの断絶、ノイズの混入、そういった通信トラブルを引き受け、むしろそのトラブル状況からシステムを再構築した、ということでしょう。それをスタンドアローンな主体、といってもいいかもしれませんね。(そういえば攻殻機動隊というアニメにそんなコンプレックスが出てくるそうですが、どういう文脈、内容だったのでしょう。勉強しなければ。。。)

ちなみにこの固着の瞬間、初期のラカンはそれを映画のフィルムのリールがつっかかって止まってしまい、静止した役者の映像が大写しになっているような状況になぞらえています。ですが、さらにそれが反復されることを思えば、想像的なもの、という言葉の含意するその映像的が失われてしまうという欠点はあるものの、先ほどの同じ位置を反復再生する壊れたレコードも悪くないたとえです。そして、近代の主体とは、ある種の音楽(このへん詳しくないのです)でレコードをキコキコ行ったり来たりさせて音楽を創る、そんなイメージに近いかもしれません。ノイズの組織化による音楽の構成。

しかし、問題はこの1との出会い。ラカンは情動をそこに位置づけます。同時に不安の瞬間でもありますね。この出会いの瞬間だけは、主体の構成の解釈からは出てこないのです。なぜ、その偶然的出会いがあったのかは。あたかも、漂っている情動が、偶然とある乗り物を見つけた、そしてそれがやがて主体と呼ばれるようになった、というかのように。その情動と、『ランガージュの効果』をもたらす『ランガージュ』は同じものであることになります。おそらくラカンはそこからララングということを真剣に考えていくことになると思うのですが、この話はまたいずれ、というか遠い先のことになりそうです。。。