ないしょのはなし

むかし、たしか河合隼雄せんせいだと記憶していますが、どこかでこんなことを書いていました。
せんせい、カウンセリングで、はじめて盗んだものについて聞くのだそうです。

まあ、なにかしらちょっとしたものを、ほんの子供の頃、いっときの出来心で盗んでしまう、ということは良くあることです。多かれ少なかれどんなひとも幼年期にそんな思い出を持っているでしょう。で、河合隼雄によれば、それを聞くとだいたいその人のその後が見えてくる、ということなのです。

さて、日本を代表する大家の意見は、もちろん軽んじるべきではありません。しかし、一見すると、ちょっと無理がある説明にも見えます。まあ、もちろんかなり気楽なエッセイのような文脈で書かれていたこと、と記憶しますので、そこまでシリアスに考える必要もないかもしれません。ですが、一本補助線を引いてみると、この話、俄然意味深長になってきます。

最初の自意識が、最初の秘密によって生まれる、というのは、まあよくいわれることです。それは特に、最初の嘘、という形を取りますね。親にはじめてついた嘘、それは親にはじめて隠し事をし、秘密を抱いたということです。かなり大げさな言い方をすれば、それは無意識の誕生と密接に関係しているとさえいっていいかもしれないのです。なぜって、ラカンもいうように、ある時期まで幼児は、親は自分の考えていること、知っていることをすべて知っていると信じており、「親は実は知らないのだ」という意外な事実の発見のショックはかなり大きなものだからです。

しかし、河合先生の付け加えた一ひねりは結構面白いもので、「最初の秘密」ではなく「最初の盗品」と、いってみれば物象化を行ったという点にあります。つまり、親、権威、神様と私とのあいだの亀裂、断絶そのものを取り上げるのではなく、その亀裂をもたらす原因となり、かつ対象でもあったものを取り上げている、ということに。まあ普通の家庭なら、盗みはとても悪いこと、絶対秘密です。ですから場合によっては、はじめて盗みを行ってしまったせいで、親に対して秘密が芽生えてしまった、ということもあるでしょう。この場合、最初の盗品は、この秘密の対象、秘密にしなければいけない、たぶんどっかに隠しておかなければいけない対象であると同時に、親に対して秘密を抱いた、という大事件の原因そのものでもあります。

次回、ラカンの転移論における分析家の位置の変化、つまり、AからS(A/)、そして最後には対象aへ、という移行の話をしましょう。そのとき、この話は実に示唆的に見えてくるのです。