知を想定された主体

 そのむかしフロイト先生がまだ余りフロイト先生でなかった頃、彼のテクニックに「前額法」というものがありました。
 なんのことはない、おでこに手を当てながら、「あなたは絶対に憶えているはずです。思いだしてください。」と強要もといお願いするという、どこがすごいのか今ひとつわからないテクニックだったのですが、ここにはひとつ、後年にいたるまでフロイト先生を支配していたひとつの信念があります。それは、意識的無意識的かはともかくとして、患者はすべてを知っているはずだ、という信念です。無意識は、フロイトにとって不滅の、そして網羅的なアルヒーフでした。

 さて、時代が移って、ラカンはとある定式を提唱しています。転移、それは「知っていると想定された主体」がそこにあらわれるごとに起きるということです。
 いちおう、ものすご〜く簡単にかつ暴力的に通俗化した説明をしておくと、転移というのは分析状況において、主体が分析家に対してかつて他の人に対してとったであろう態度を取り始める、ということを指します。過去に他人に対して抱いた態度をよそさまである分析家に移し替えるので、転移です。(念のために言っておけば、過去の歴史的事実のそっくりそのままの再演、ということではないのですが)
 もともと、分析のなかで、患者が分析家に対して突然妙な態度を取り始める、というとてもありふれた事実の観察から、この概念はスタートしています。フロイト先生の場合だと、可愛い患者さんに抱きつかれちゃったり。あるいは突然妙な敵意を向けられたり。前者の場合、「俺ってもてるのかな」とか、後者の場合、「俺のやり方がまずかったのかな」とか、素直に反省しないところがフロイト先生のフロイト先生たるゆえん。この現象も、治療過程の一環なのでは、と、まあ有り体に言えば失敗にしか見えないものを成功への過程、あるいは道標にさえ仕立て上げてしまったところに、ある意味図々しい、ある意味弁証法的な思索のあとが伺えます。
 最終的には、この転移は精神分析が分析として機能するのに必須の現象という位置にまで高められました。フロイトが精神病に対して分析は無効だと主張した理由のひとつは、かれらが分析家にたいして転移を起こさないからだ、という事実からです。まあ、それが全面的にそうなのか、ということに関しては、学派によってそれぞれ考え方は異なりますが、まあ全般としてその印象が強いことは事実でしょう。逆に言えば、神経症圏の患者さんの治療の場合は、この転移を上手に引き起こし、上手に退行してもらって、その転移を分析して、というのが、大きなウェイトを占めています。歴史的に言えばある一時期にはそれがすべてといっていい時期さえあったといえましょう。いまでも、とくに若いカウンセラーさんが必ず悩まされることですね。特に転移は愛と密接に結びついていますから、若い男性カウンセラーと女性クライアント、などは、いろいろと大変なこともあります。
 で、ラカンはお相手となる分析家が、患者にとって「知っていると想定された主体」となることで転移は引き起こされる、と主張したのでした。初出はたぶん、セミネール第八巻『転移』の314,5ページあたりからでしょう。
 一見するとそれは別におかしなことではありません。そりゃ、分析家が賢くて、自分の秘密を見抜いていて、それを教えてくれるから病気が治る、と思うから、患者さんだって分析家のもとを訪れるのでしょう。ちなみに「転移という言葉にこうした翻訳をつけたのは私自身です。『その本質においては詐欺tromperie』」(1965.2.3)といったのはラカン先生。まあ言い得て妙なのでしょう。

 でも、冒頭に書いたように、精神分析はその歴史の始めから、知っているのは患者、という大原則を維持しています。ではこの二つの整合性は?
 一番簡単な答えは、そりゃ、いやいや患者は最初は知っているのは分析家だと思っているけど、その転移の分析が進むうち、本当は自分が知っているのだ、ということに気がつき、自分自身に立ち戻り振り返るんだよ、ということでしょう。まあそれが全然間違っている、ということはないのでしょうが、でもそんなに簡単だったら世話ないわ、という抗議が臨床家のみなさまから聞こえてきても不思議ではありません。

 じゃあ、どう考えたらいいのか、というと別にいい答えがあるわけではありません。ですが、ここで興味深いのは、この「知」。ふわふわと分析空間を漂う知です。ある時はそれは分析家の中に、ある時はそれは患者の中に。ですから、問題なのは知が本当はどちらにあるかとか、そういうことではなくて、このように知がそれぞれの間を浮遊する、という事実にあるのではなかろうかしらん、と、臨床家ならぬ身は無責任に考えるわけです。


「分析の全てが象徴的な方向に向かっていくからこそ、分析家がそれをそこに欠けているものと置き換えるからこそ、父が超自我に過ぎないからこそ、つまり『パロール無き法』であるからこそ、それが神経症を構成するものである限りで、神経症は転移によって明確にされるのです。」(1953.7.8 LE SYMBOLIQUE, L’IMAGINAIRE ET LE REEL)
 ラカンはある時こう述べています。では、パロールなき法とはなんでしょう。そして、どうしてそのパロールなき法が神経症を構成するのでしょう。

 わたしは、そのヒントはそこから15年後のラカンのこの言葉に集約されているのではないかと思っています。


精神分析理論の本質、それはパロールなきディスクールである。」(1968.11.13)
「本当のディスクール、それは今年冒頭に掲げましたように、パロールなきディスクールなのです。皆さんがそれを発信したのちは、誰であれそれを繰り返すことが出来ます。」(1968.12.4)
 その翌年のセミネール、セミネール17巻ではそれはこのように解説されます。

「ここで問題となっているディスクールとは、シニフィアンの分節化、装置というもの以外の何ものでもありません。その存在のみが、そしてその存する状態のみが、パロールから生じてくるものの全てを支配し、統治するのです。それはパロールなきディスクールです、そしてそこにパロールが住み着くことになります。」(194)
 注意しましょう。パロールを発するのは主体です。しかし、ディスクールはそのパロールを必要としません。とくに、1968.12.4の引用箇所が、自由連想の話題を中心にしている箇所であったことは注目に値します。自由連想とはいかなる意味でも個人の、あなたの、患者の私秘的なディスクールではありません。ある意味ではディスクールとは言語というものが存在していること、そしてそれがひとつのネットワークとして組織されていること、そのことだけを意味しているのです。個人とは、まあ強いて言えばそのノード(結び目)であり、単なる中継装置です。

 ラカンセミネール二巻の時点で、それをこう述べていました。


「このようなシェーマ化は孤立した絶対の主体から出発するものではありません。人間がこの世に登場して以来、そして人間が話すようになって以来、すべては象徴的次元に結び付いています。そして伝達され、構成されんとするものは途方もなく大きなメッセージであり、このメッセージにおいて現実的なもの全体が少しずつ伝達され直され創造され直され作り直されます。現実的なものの象徴化は宇宙にも値するくらいのものであり、主体はそこにおいては中継回路、つまり支えでしかありせん。その中で私達が行っているのは、そういった現実界象徴界の結合の一つの水準におけるある切断です。」(1955.6.29)
 さて、このような切断面、つまり、この「宇宙にも値する」ディスクールの網の切断、これは何を意味するのでしょう。一言でいえば、それが主体ということです。そしてどういうわけか、分析はこの切断を創り出すのです。

 この切断は、空の場、無として理解されます。今度は第八巻からの引用です。


「ここではまず、われわれは空の場をキープせねばなりません。この場に、他のすべてのシニフィアンを消去するためにのみあり得るこのシニフィアン、Φが呼びだされるのです。」(315)
「それは、幻想というものが、個人に関わる発見の唯一の等価物であるからです。個人に関わる発見とは、それによって、主体が解答の位置、つまり彼が転移から待ち受けているところのS(A/)を指し示すことができ、S(A/)が意味をなすことができることになる発見のことです。」(315)
 つまり、すくなくともこの欠如のシニフィアンを前にしたとき、それは患者個人の運命の発見であるということをも意味する、ということになります。われわれが少々先回りして、切断を主体と述べたのはこのためです。

ですから、問題なのは、この切断によって、無意識が生じることなのです。そして、転移とは、その切断、「宇宙にも値する」ディスクールの網の切断によって生じた孤立化によって生じた主体と、その無意識の内在的な関係を、再び外に展開し直したものなのです。


「知を想定された主体、それは無意識の主体としてであり、言い換えれば、いかなる場合でも知ってはいけないものを知っていると想定された主体なのです。」(1965.5.12)
「知のレベルでは主体を想定することはない、なぜならそれは無意識なのだから」(1965.5.19)
 そう、ではその「いかなる場合でも知ってはいけないもの」とはなんなのでしょう。
 ラカンはまず、無意識の中にあるシニフィアンのネットワークをこのように説明します。

「無意識の中に現前しているシニフィアンは、回帰してくることもありましょう。ですが、そのシニフィアンがまさしく抑圧されている、とは、いかなる意味でもそのシニフィアンが主体を巻き込まない、主体を他のシニフィアンに対して表すシニフィアンでは全くなくなっているから、ということなのです。この主体を表象代理することもないままに、他のシニフィアンと連接しているものなのです。無意識の機能について、これ以外に可能な定義はありません。」(1968.1.17)
 シニフィアンは他のシニフィアンと連接しています。それは、孤立しているわけではないのです。では、主体を巻き込まない、とはどういうことでしょう。主体を他のシニフィアンにたいして表すシニフィアンがないということです。つまりは、シニフィアンはひとつの平明な、すべてが同レベルの、同一平面上の、水平上の、織物なのです。
 このような状態に、シニフィアンをとどめおくもの、そこから、「私は知らなかった」への移行があります。

「知るべきものは、主体がいて、主体は我々の操作の中で「私は知らなかった」という言葉が現れてくるような瞬間へと導かれていくものである、というような、原始的なレベルによって定義されるものなのです。私は知らなかった、あるいはそれは、シニフィアンがここにあって、私はいまそこで、ここに私は主体としてあったのだ、ということを再認した、というのでもいいのでしょう。あるいはまた、ここにあるこのシニフィアンを皆さんは私に向かって示し、私のために分節化した。が、それは私をそれに対して表象代理するためにであった、ということでもあるでしょう。」(1965.5.5)
 知らなかった、それは同時に「今は知っている」ということです。そして「かつては知らなかった」という意味です。現象的にいえば、それは今はじめてそこにありながら、当人の認識では、そうだ昔からそこにあったのだ、ということを意味します。それは過去を書き直します。この、遅ればせながらの気づきの瞬間を、ラカンはこう説明しています。

「知がある、主体がある、その瞬間から、何らかの食い違いが、ひびが、動揺があり、この知の中にある私JEが、なくてはならないのです。それは、突然気づいて、以前知っていた知が更新されていく、ということのためです。」(1968.1.17)
 つまり、この突然の気づきによって主体は、JE、フランス語の一人称、わたし、ですね、つまり「私」として生まれるのです。そして、その気づき以前に、「自分は知っていたこと」を、フランス語でいえば半過去というかたちで、組み替え出現し直すのです。
 さて、前者の、主体を巻き込まない平滑的な知、ラカンはその知のことを、《他者》の享楽と呼びました。

「知のことを《他者》の享楽と呼んだ・・・」(セミネール第17巻、12ページ)
 そして他方で、主体を巻き込んだ、主体を表象代理する、言い換えれば抑圧するシニフィアンが存在するとき、それは、「私は知らない」というかたちで、この知のネットワークから主体がみずからを切り離す瞬間です。

「去勢、つまりは《他者》の享楽に関して、「私は知らない」という、理解の中にある穴のこと」(1969.4.23)
 この、理解の中の穴、それは《他者》の享楽としての「知」のなかに解消され得ない、つまりは理解され得ない穴であり、「ここではまず、われわれは空の場をキープせねばなりません。この場に、他のすべてのシニフィアンを消去するためにのみあり得るこのシニフィアン、Φが呼びだされるのです。」(315)という、先ほどのセミネール第八巻の引用箇所を思いだしてみれば、この去勢、Φというシニフィアンはその空の場としての穴の位置に来るものでした。

 問題なのは、ある時期までラカンはこのような「無」の位置に、つまり主体が主体として生まれた切断面に、分析家はやってくるべきだと信じていたということです。しかし、周知のように、ラカンは最終的には、分析の終わりには、分析家は対象aの位置にやってくるのだ、と述べるようになります。この場合の対象aとはなんでしょう?ラカンは、それを残余といいます。しかし、この話はまた次回にしましょう。さしあたりヒントになるのはこの言葉です。


「今や皆さんも、その主体が何を知っていると想定されているのかは良くお解りでしょう。人が端的に意味作用を口に出すや否や誰もが逃れることのできなくなるもの、その様なものを知っているとされているのです。」(Sem11, 228)