余はいかにして観念論者になりしか?

さて、前回まで、シェリングにとっての永遠、というもののもつややこしい位置づけの問題にまでたどり着いたわけですが、今回ご紹介するのは「近世哲学史講義」(細谷貞雄訳、福村書店、1950)から、そのいくつかを。講義の集成ということのようですが、本人の手で出版刊行されたものではありません。1829年のもの、とされているらしいのですが、実際にどの期間に書かれたのかは定かならず。多分文献学的な研究の成果で明らかになった点も多いはずなのですが、いかんせん当方の勉強不足のためです。

「近世哲学史」は、デカルト以降の哲学者を解説していく、という建前になっていますが、実際には「わたしはいかに近代哲学を読み解き、そのなかから今の自分の問題意識にまでたどり着いたのか」というあたりが透けて見えそうな、なかなかに楽しい書物です。この中で、私が注目したいのは、様相論理的な展開が増えたかも、という点。そのあたりを抑えつつ、ちょっと気をひかれた部分を抜き出してまとめてみましょう。

私の思惟、それはその最初の状態においてはいかなる実体も持ちません。ipsum Ens、とシェリングは言います(27)。それは無ではなく、確かに存在するが、それを存在を有する、という風に言うことはできません。シェリングはこうも言います。


「あるいはそれは存在と思惟が一如である点であります。この単-性において私はそれを少なくとも一瞬間は思惟しなくてはなりません。」(27)

この存在と思惟が一つである点。ここから客観的存在者がどう析出して来るというのでしょう。シェリングの説明を続けます。

さて、「存在しないことができないもの」、これは言わずとしれたアリストテレスによる必然性の説明です。興味深いことに、シェリングはそれをこう言い換えるのです。「なんらそれ自身の可能性がそれに先行していなかったもの」(28)どういうことでしょう?

これは「すべての人間は明示的な考慮も選択もない自由を人間が持っていることを知る。この自由はそれ自体は運命であり必然性である。」という前回のシェリングの説明の延長上に来るものです。シェリングは、


「私が或ることを行うのに、まえもってそれ自身の可能性を表象しておかなかったときには、私の行為は盲目的であります。行為が行為の概念に先走るとき、これが盲目的行為なのです。」(28)
と、この講義を続けています。

盲目的、シェリングはさらにつづけます。


「なんらの可能性も先立たなかった存在は−存在せずには決していられなかったもの、それゆえにまた実は存在することの可能性をももたなかったもの、むしろおのれの可能性としての可能性を出し抜いてしまった存在」(28)

どういうことでしょうか。存在の可能性をもたない、つまり、それは不可能です。にもかかわらず、それは存在せずにはいられなかった、とされています。つまり、必然なのです。つまり、シェリングの論理では、可能性の否定が必然性と不可能性であり、この両者がどういうわけか同じステイタスにおかれているのです。もちろん、それは様相論理的に間違っているわけではない、つまり可能性の否定を必然と見ることも不可能と見ることも出来る、ということは間違っていません。というか、様相論理のトピックの一つです。でも、その二つを同じところに置いてしまうのは勇み足のはず、です。

しかし、シェリングの説明を読むと、事態は少しずつクリアになります。存在可能性も同時に非存在の可能性を内に含む、まあそれは当然のことです。可能性とは、存在するかしないかするものですから。ですから、存在しないことが不可能である、つまり存在することが必然であるものは、存在することは可能ではない、とは言うシェリングはそう間違っているわけではありません。必然は可能を排斥しなければいけません。しかし、そのことで、いかなる可能性をも持たないもの、あるいは可能性すべてに先出しそれを出し抜いている現実が必要なことになります。

この、盲目的行為、これは必然とされています。しかし、同時に可能ではない。それは不可能とはいいません。ですが、このことによって可能としての段階を一切持たないことになるわけですから、ある種の盲目的行為、ジャンプが必要になります。

シェリングの有名な「原始偶然」の概念はここに位置づけてよいのではないでしょうか。すなわち、この端緒を開くもの、シェリングはそれをこう説明します。


「最初の存在者−この「現存第一者」と私がなづけたもの−は、かくして同時に最初の偶然的なるもの(原始偶然)であるわけです。このようにこの構成全体は最初の偶然的なるもの−おのれ自身に不協和なるものから始まるのであり、それはひとつの不調和から始まるのであり、そしてたしかにそのような仕方で始まらなくてはならないのです。」(163)

つまり、己が己から分かたれる、盲目的行為、それは必然ではあるのですが、にもかかわらず、その最初の端緒、不調和、不協和が原始偶然という形で介入してこなければいけなくなるのです。

もちろん、この偶然は、主観が自己に立ち返りつつある過程で回収される、あるいは極端に言えばそのための促しになるに過ぎない、という扱いもされています。この単純化の傾向は後期の著作にやや多く見られる傾向といってもいいでしょう。しかし、このことはまた次の著作「哲学的経験論」までとっておきましょう。

ここでは、もう一つだけシェリングの歴史性についての考えを引用しておきたいと思います。シェリングは、「我の表象の盲目性と必然性」とを指摘します。これは、先ほど言うように、盲目的な行為によって個人としての主体が、あるいは人間が析出してくるその瞬間を捉えています。そしてシェリングは更に続けてこう述べます。


「個人的な我が彼の意識において見出すものは、その道程そのものではなくて、それのいわば遺跡・記念碑にすぎないのです。」(151)

だとするなら、


「意識のかなたに思惟されるかぎりでの我は、まさにそれゆえにまだ個人的な我ではないという点です。・・・あらゆる人間的個体にとって同一なるものであり、それがまさに各人の内で自己に到来することにおいてはじめてそれが各人の我、彼の個人的な我と成るのです。・・・この「我あり」に到来してそれによって彼の個人的な生涯が始まるとき、そのとき我はそこにつくまでに経歴してきた道をもはやおぼえておりません。なぜならこの道程の果てたところにはじめて意識が起こるのですから、我(今や個人的となっている我)は、意識への道をみずから無意識に−それと知ることなしに−経歴してきたからです。」(150-1)

ということになります。

ipsum Ens、思惟と存在が一致する点、この一者。そこはすべての人間にとって共通のもの、共通の永遠です。人間が実存と根底とに分かたれ、個人としての我に到達するとき、この永遠は失われます。しかし、完全に失われるわけでもありません。われわれの過去、ないしわれわれが経験として積み重ねていく過去は、その永遠との出会いから生じた、その出会いを裏付ける遺跡であり、記念碑であるからです。