ミュンヒハウゼン男爵の幻想

今日はちょっと毛色を変えて、ファティ・ベンスラマ 「物騒なフィクション」(西谷修訳、筑摩書房、1994)から。著者のベンスラマさん、チュニジア生まれの精神分析家でもあります。でもこの本で論じるのは、そう、1988年に出版されて騒ぎになったあのサルマン・ラシュディの「悪魔の詩」についてです。

フィクションなんだから血相変えなくても、から、いやフィクションといえども宗教的冒涜は・・・にいたるまで、この問題に関する我々の視点は、ある意味でこの「フィクション」という言葉を中心に置いているかもしれない。そんなあたりが、おそらくこの著書の立脚点です。でも、このフィクション、それ、なんでしょう?

ベンスラマは言います。ちょっと長くなりますが引用しましょう。


「何ものでもなく、無から生まれる、それがあらゆる起源の直面しなければならないことだ。あらゆる起源の構築の務めは、無を引き受けること、それを囲い込むこと、それをもろもろの表象で着飾ることだ。この粉飾が、思考し得ないものを表象可能なものへと転化しながら欠如の現実、死の衝迫を覆い隠す、フィクションの至高の操作なのだ。だから起源とは、フィクションとなった現実だ、ということができるだろう。・・・無を引き受けるフィクションに触れることは、絶対的なものと差異化の問題に触れることであり、同時に、言葉と物、主体と他者の差異化の問題に、つまりはピエール・ルジャンドルが「表象の無意識的ファナティズム」と呼ぶものに触れることだからだ。呪われた部分といえばそれ以外にない。呪われた部分とは定礎する部分だ。このフィクションに手を加えることが引き起こす罪責感と恐怖はそこに由来する。」(41)

主張は明解です。起源の無。この無をどう引き受けるのか。それがフィクションの務めです。ひとたびこのフィクションが成立すれば、それは定礎する部分となって、その上に全てを構築することを可能にします。著者はルジャンドルを援用しますが、ラカンの読者であればここにラカンセミネール第七巻でのフィクション論をすぐさま想起なさることでしょう。今回はもう少しわかりやすいところから、二つほど。


嘘という次元は、偽装とは反対に、真理として確証されうる能力を持ったものです。真理の次元においては、つまり象徴的事実として我々の領域に参入してくるものの総体においては、真理は真偽である以前のものです、その基準を定義することは困難です。なぜなら、いつだって、一方でそれは存在の問いを持ち込み他方で問題の真理との出会いという問いを持ち込むからです。そして、真理はここで昨日し始め、基本的な虚構として成立し、分節化されます。そこを中心に、ある種の座標系の規範が発生することになります。(1966.1.12)


虚構の構造という言葉は、おおざっぱにいって社会的関係と呼ばれるものの中で、ディスクールの創設的な分節化のすべてに影響を及ぼす・・・(1969.2.26)

まあ、このへんはベンスラマ、ルジャンドルあたりの思想史的な流れを正確に把握していませんので何とも言えませんが、ともあれ、このようなフィクションの概念をまず押さえておきましょう。そして、ベンスラマはここから問題に切り込みます。


「文学の成立とともにわれわれは、テクストによって作られる人間から、テクストを作る人間へと移行した。つまり自己を産出するものをみずから産出していると思い込む、あるいは自己の産出される条件を産業的規模で製造する、そんな人間へと移行したのだと言ってみても、それはおそらく月並みだろう。とはいえ、サルマン・ラシュディの小説はこの原理の上に成り立っており、ほかならぬこの逆転あるいはそれにともなう懊悩の物語なのだ。」(17)

ちょっと月並み、とはいいますが、この指摘は重要です。この、「自己を産出するものをみずから産出していると思い込む、あるいは自己の産出される条件を産業的規模で製造する、そんな人間へと移行した」ヨーロッパ人たち。その西欧的文明の本質をベンスラマはこう陳べています。


「西欧的<流謫>とは、文明を起源の文化から離脱させ、人間共同体を計画に折り込もうとするこの意志なのである。起源の文化とは、創設の不動性のうちに構成され批判や駆け引きから守られた期限の、恒常的、直接的な現前を支える文化である。いっさいの事象の真理は、特別の<書き物>に託された開始のとき以来、この文化のうちにある。この<書き物>によって世界は完成され、その完成のときから意味が与えられる。」(61)

「ヨーロッパ文明は、ひとえに起源の文化から人々を解放する作業によって、他の時間、つまり今日世界を支配している歴史的時間への通路を開こうとする。」(62)

こうしてみると、我々の文明は、原初の虚構に対する根源的なニヒリズム、言葉の文字通りの意味での、虚無に帰す意志としてのニヒリズムの文明といっても良いかもしれません。このあたり、ベンスラマと論戦(Le Monde du 4 decembre ; 1999など)をしたトビー・ナタンの立場と、どこか似ていなくもない。ナタンの著書の一つは「国も友も持たないことが誇りなんて、馬鹿馬鹿しい Fier de n'avoir ni pays ni amis, quelle sottise c'etait...」と題されていますが、こうした西欧的現状に対する批判意識の、ある種の共通性はここにわかりやすく現れています。両者の論争の種がどこかは、また別に論じることにしましょう。でも、とりあえず非西欧圏出身で、精神分析に十分知識のある両者が、その理論的な立場のちがいにもかかわらずこの点に関してはある程度類似した見解を持っていた、ということは大事です。

さて、この、特別の書き物、に対する破壊の意志。そこから、自分で自分を生み出すという、ほら吹き男爵のワンシーンの中のような難行にチャレンジすることになります。同時にそれは、精神分析という技法にも反映することになるでしょう。ですが、そのことはまた別に稿を要すること。さしあたり、その中で、つまり、この二つの狭間に置かれたラシュディの文学的立場を、ベンスラマはこう述べます。


「人間が自分自身の創り出すものに従属するそのあり様は、隷属的かつ滑稽で、滑稽/かつ暴力的だということを示そうとしながら、文学はその存在そのものの核心から生まれ出るからかい好きの声を聞き届かせようとしている、とさえ考えることができるだろう、その声を聞き取ることと密接に関連して、フロイトは洒落との関係をとおして無意識が哄笑するさまをかいま見させたのだ。」(31-32)

そう、破壊の意志の下に、それをあざ笑う哄笑としての声。洒落、地口、そしてラカンならそれをララングと言うでしょう。この意味で、原初の無はある想像的な言語によって、常に変奏されていくことをやめません。問題は、「自己を産出するものをみずから産出していると思い込む、あるいは自己の産出される条件を産業的規模で製造する、そんな人間へと移行した」われわれが、その力にどう向き合うかでしょう。そして、そこに気づくとき我々は、フィクションをフィクションとも区別しないでさぁあの野蛮人たち、のような、とりあえずわかりやすい批判が自分たちにどう跳ね返ってくるかを学ぶことになるでしょう。