意志の過剰


 

「思考を意識と同一視するなら、思考を物質の進化から説明することはさほど難しいことではありません。物質の進化から説明するのが難しいこと、それは端的に「ホモ ファベール」、つまり生産と生産者です。
 生産は独自の領野です。つまり、それはシニフィアンの組織化を自然の世界に導き入れるという意味で、「ex nihilo無から」の創造という独自の領野です。だからこそ、我々が思考を発見できるのは−−思考といっても観念論者のいうそれではなくて、世界の中への現前化という点での思考ですが−−ただシニフィアンの狭間においてだけなのです。」(seminaire 7, p.253)

 ということで、前回前々回と、友人の家の赤ちゃん見物から、「再生産-循環」と「生産-剰余価値」という問題にまで一足飛びに話を飛ばしてみたのでした。ものすごくさらっとまとめると、母乳とうんちというごくごく当たり前の食物の流れ(ああなんて唯腸論)のなかに、うんちを誇らしげに自分の生産物、作品とみなしてにっこりの赤ちゃんと、その健やかな快便ににっこりのお母さんお父さん、という、人間的側面がオーヴァーラップしてくる、ということです。

 冒頭の引用箇所は、そのオーヴァーラップについて説明してくれています。

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