僕の瞳に乾杯?



まさにこれなり。ウラニアの眼に、その深くして
澄み渡り、青く、静かで、汚れなき光の揺らめきに、
私が静かに見入ってより、

そのときから、この眼は、私の深みにやすらい、
そして、私の存在のうちにある。−永遠に一なるもの、
そは、私の生において生き、私が見ていることにおいて見ている

 フィヒテソネットです。草稿から発見されました。おそらく、1812年前後の作、ということだそうです。出典はディーター・ヘンリッヒ 「フィヒテの根源的洞察」(座小田豊・小松恵一訳、法政大学出版局、1986)の112頁。今日はこの本と、ヘーゲルの「フィヒテシェリングの差異」(戸田洋樹訳、公論社、1980)の二冊から、前二回をちょいとばかり補足しておきましょう。

 ディーター・ヘンリッヒの著作は、


「自我の哲学は、<自己であることselbstsein>と、<自己能力Selbstmacht>とを同一視する同等化の理論とみなされる。この理論は、主観性の傲慢と独善が増大していく過程の産物であるかのように思われている。この理論は、デカルトに始まり、フィヒテにおいて頂点に達した、とされるのである。」(51)

この通説をうち破ることを主目的としています。どうもこれが全く的はずれなのではないか、というのは、われわれも後期の講義録からいやでも気づかされたことでした。
 でも、1794年の知識学のテーゼ「自我は端的に自分自身を措定する」なあんて、いかにもこの主観性の独善と万能感を物語っていませんこと?という疑問もありましょう。しかし、では実際にはそれは何を意図していたのか。
 ヘンリッヒが指摘したのは二点。一方で、フィヒテの主張はこの時代になって(フィヒテの重要な著作は1790年代です)初めて人間がフランス革命を通じて手にした自由をどのように措定するか、というパッショネイトな問題であり、同時にいわゆる反省理論による自我の構成に対する批判の意図があった、ということ。ヘンリッヒによれば、前者は


「この命題は、フィヒテの同時代人たちによって、革命の理想を正当化するものとして、世界を理性の諸条件のもとに従わせようとする決意の表明として、また、自分の仕事以外の何物も許さないジャコバン党員の原理として理解されたのである。この命題によって、人間の解放と、理論の勝利が、現実の出来事になったように思われたわけである。」(70-1)

ということになっています。後者についてはもう一手間、まず反省理論について考えなければなりません。

 ヘンリッヒは、反省理論をこのように描きます。この理論はまず「思惟する主体」を想定します。で、この主体は自分自身と不断の関係にあり、自分を自分の客体にあると想定することで現存する、ということになっています。でも、問題が二つ。
第一に、主体が自分自身について知っている場合しか、つまり自我と考えてしまっている場合にしか、我々は自我について語ることが出来ない。つまり「自己との同一性を理解している自我」を前提としていることになります。
第二に、「私はこの客体について、それは私自身と同一であるということも知っている」ということが含意される。つまり自我は「自分が客体として知るものは自分自身にほかならない」という保険をかけているのであって、おかげで欺かれる可能性もなく知の内容として自分を知ることができるのだ、と。

 そんな馬鹿なというご意見もありましょうが、ある程度精神病理学的な知識を持っているとこの自明性を疑うことの意味はよく分かってきます。基本的に自我の理論というのは、自分が頭のなかで好きなことを考えることが出来て、それは自分が作った観念であることははっきりしていて、それでもって自分はそれを自分のものとして見ることが出来、んでもってその観念も自分なら観念を見ている自分も自分だ、というところに依拠しているからです。でも、私の頭のなかにあるこの観念は別に人が(多分大宇宙の意志か頭のネジの飛んだ神が)私に吹き込んできて上映して見せている観念である、ということは十分起こりえます。つまり、この反省理論というのは、自我について説明しているようで、予め自我を前提としている、自己意識のあり方を明確に説明するものとしては十分かも知れないけれど、自己意識の起源までそれで説明しようとするのは行き過ぎ、というのがヘンリッヒのご意見。つまるところ


「自我であるものと、自我がそれを介して説明されなければならないものとの間には、差異が、しかも深淵が存在する。哲学の課題は、この深淵を計ることである。」(16-7)

 ですから、フィヒテが「自我の自己措定について語るとき、フィヒテが考えているのは、自我全体が同時に現れてくるようなこうした直接性のことである。」(73)ということの必要性が、この反省理論に対する批判的態度を踏まえておくことで、理解できるようになります。ここで必要なのは「自己意識の構造」ではなく、「自己意識の起源」。そして、構造で起源を説明することで陥ってしまう論点先取を避けるためには、「どのような先行する行為も持たない行為そのもの」を目指す行為によって、自我の主体性と客体性が一気に生じさせる以外にありません。それが、「自我は端的に自分自身を措定する」ということの意味だ、と。


「自我とは、措定であり、自我が自分にとって存在するようになる行為、つまり、自我−主体が自分を自我−客体として知るようになる行為である。」(73)

 しかし、このように考えていくと、自己意識の構造そのものから説明される、自己についての知、という問題がちょっと曖昧になってきます。ヘンリッヒはここに中期のフィヒテの立場の移行を見て取っていますが、ここではちょっとさぼって、以下のヘンリッヒのご意見をもとに、一挙に後期にまで飛ぶことにしましょう。


フィヒテが後期に変化するに到った前提のひとつがここにある。すなわち、自己意識における知と知の根拠はそもそも相互に異なっているということが、知と知の根拠の両者を根底的に分離しうるための条件である、そうすると、自我のうちにある知の根拠は、もはや決して知られる対象ではないことになる。」(76)

つまり、自己意識の知はまあ、反省理論にまかせておくこととして、その知の根拠となる、つまりあのジャンプ、一挙の行為、これ、どうしよう、ということです。つまり、自我の活動としての反省の行為はさておくとして、その活動の根拠となりうるものはなに?と。そこで見出されたのが、この前の二回で見てきた、主体なき知という逆説です。冒頭のソネットは、ちょうどそのころにしたためられたものです。


「以前にも、<自己であること>は顕示であったが、それは自分自身の顕示であった。ところが今度は、<自己であること>は、あらゆる知に先立って<自己であること>の可能性を基礎づけるものの[自己]顕示である。すでに明らかになっていたように、この<或るもの[一者]>を、われわれは直/接洞察することはできない。けれども、いまやそれは、その作用の帰結から理解することができる。この一者は、根拠づけられえないものとして自分を顕示するために、顕示を本質とする<自己であること>を生成させるのである。こうして、この一者は、結局自我において、<自らを顕示するもの>として自らを顕示するわけである。」(120/1)

 こうしてみると、ヘンリッヒのご意見どおり、主観客観関係というのは、もうすでに200年も前に極めて否定的な形で論じられていたことは確かです。そのあと百年とちょっとしてハイデッガーも、あるいはそれからさらに下ったポストモダンも、同じように「主体性」に対する疑いを口にしていました。主観性の傲慢と独善。でも、いつも先の世代に対して扱われるこの非難、どこまで遡ればその当の傲岸なる主観性ご本人さまに出会えるのでしょう。デカルトでしょうか。個人的には、デカルトにだってそれを帰すのは難しそうだ、と思いますが、まあそれはさておいて。いずれにせよ、われわれは少しも目新しくない問いをこの200年ばかり目新しげに取り上げて論じていたことは確かです。もちろん、その意味はそれぞれに異なるのですから、同じ質問を、というのは正当ではないでしょうが。

 もちろん、一概にはそうも言えない、という見方ももちろんありますが、それについては次にちょこっと、今回登場して頂きそこなったヘーゲル先生のご意見を拝聴して、味方についてもらうことにしましょう。