ひとのうわさも

75日、とか申しますそうですが、インターネットのおかげかその75日の内実はかなり変わったかもしれませんね。すくなくともその盛り上がりの密度たるや相当なものです。問題はどんなふうに消えていくか、75日でフェードアウトするか、ということです。情報の洪水のおかげであっというまに流されていくという気もしますし、あるいは細々と残存したサイトの情報やグーグルキャッシュがどこまでも噂を伝え続けてくれるような気もします。それが実際にどの程度人の気を引くのかは別ですが。

さて、今日は新しいとは言えませんが、75日は経っていないニュースについて。かのP2PソフトWinnyの製作者逮捕の話です。といっても、技術的なことも法的なことも分かるわけではないのですから、そこから着想を得た、という程度の話ですが。

簡単に言えばP2Pは、中央のセンターに各人がそれぞれ配給をもらいに行くサーバ/クライアントのモデルとはちがい、お隣さんからお隣さんへリクエストを伝言ゲーム、持っている人がリクエスト品をバケツリレー式に持ち寄って、というシステムです。
中央のサーバが十分に高速な回線と膨大なリクエスト量を処理しきれる性能を持つ場合でしたら、それはそのほうが安定した、かつ即時の応対が出来る優れもの、でしょう。ですが、歴史的には中央のサーバがそこまで強かった時期ばかりとは限りません。このへんの勢力関係は歴史においてそれぞれ変動し、それに応じてP2P的な(と言うよりは分散処理的な)モデルが優勢になる時期もありました。

とはいえ、Winnyを見ることで私が夢見るのは、また違うことです。
つまり、サーバ・クライアントモデルは近代社会のモデルのひとつであり、かつもっともモデル化がすすみ、分析が進んだモデルであったのに引き替え、P2Pのような中央を持たない噂、口伝えのようなモデルは、近代以降の社会にも確かに存在していた、そしてその重要な構成要素の一つであったはずであるにもかかわらず、モデル化は困難だったのです。
そして、Winnyは初めて、それに対してコンピュータを用いたシミュレーション化およびその観察、分析を行うことを可能にしたのではないかと。

もちろん、たとえばWWW上のサイトのリンクの構成の分析などもその一つの形であるとは言えますし、その分析からバラバシの『新ネットワーク思考』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140807431/250-0019386-4366655)のような学際的研究の基礎論的試みが生まれてきていたりもするわけですが、クラスタ化の明確さなど、winnyのほうがよりモデリングが楽で、かつクリアなのではないか、と。
このあたりは、やはり専門のかたの話も伺いたいところですが。

人の噂の、のたとえ通り、winnyユーザの間でも、はやりもののファイルは落としやすく、はやりが終わってキャッシュが消されると見つかりにくい、などとされていたようです。それでも執念深く検索を続けておけば、必ず見つかるものであるとも。
このうわさ、というやっかいなものの流動性を、Winnyのとあるファイルの流通経路をマーキングしておくことでフォローできないかしら、とか、そこから、そのファイルの共有から構成されていくクラスタをある種のコミュニティー(?この言い方はひどく不正確ですが)形成のモデルとして見れないだろうかとか、いろいろな期待もあるのですが。
それは、中央のサーバと周辺のクライアント、といった、質的、機能的な断絶を前提とした社会ではなく、モナド的な社会観を、コンピュータシミュレーションで実証していく、という可能性も広げることでしょう。

人の噂も75日。この格言の75日という謎も、そうすると、なにがしか根拠のあるものであることが分かったりして、楽しかったりするかもしれませんね。