まちなかをお散歩するエディプス(2)

 さて、前回はハイデッガーを解説する木田元せんせいにならってWirklichkeitとRealitatとの区別を学びながら、それがフロイトにとって、そしてフロイトを解説するラカンにとってどんな意味を持っていたのかを考えてみました。
 でもって、ラカンが『フロイトのRealitat』に充てていたものが、時期によって微妙にずれていないかい、ということに気づくことになったのでした。最終的には、心的現実、エディプスコンプレックス、Realitatとしての本質存在、という並びが出来そうなのですが、それ以前にはエディプスコンプレックスはややその現実構成能力という点で、カント的なWirklichkeitの位置に置かれていたようにも思われるのです。つまり、現実に対して、作用を及ぼす力によって生まれた現実、というニュアンスを重んじるものですね。じっさい、それは症状という現実を引き出すものとして理解されていました。川の水の比喩で言えば、ダムの方ですね。ダムのあとから、川の水のエネルギーというものが事後的に生じてくるのです。

 このあたりの移行がいつを境にするのかは、さておくとして、ではそれが移行したらどうなるのか、ということが問題です。一つには、かつて川の水自体が内包しているエネルギーという考え方が否定されていたように、エディプスコンプレックスそのものが家族構成の中に内在しているということが否定されなければいけないことになります。
 とはいえ、単純に否定されなければ、つまり、エディプスコンプレックスは存在しない、ということではありません。それよりは、ここまでの木田元の議論の流れで行けば、そもそも事実存在するかしないかを問うことがカテゴリー違反ということになるものとして考えなければいけない、ということです。
 《他者》が事実存在、現実性を成立させているこの「働き」、認識主観の行う表象作用、の構成要因であるとすると、逆にエディプスコンプレックスを構成する諸々の事象内容を話し合うことは出来ても、その事実存在を話し合うことは出来ないことになります。

 では、このRealitat、いったいなんなのでしょう。

 ラカンはある時、こんなことを述べています。長いうえに訳も悪い(死ぬほど訳しづらかったのです)ですが引用しましょう。それは、「主体と呼ばれるこの根本的な切れ目」と「唯一、この切れ目に同一なものとしての分析家の位置」について語ったものです。


「ここで現実性Wirklichkeit(精神分析家と私との間で実現されうる関係で、それも分析家達が私のいる場所を残しておいてくれ、そしてそこに私がある種の形式をもたらそうとする場所が残されている限りでのことですが)、それと現実Realitat(不可能なものとしての、彼岸にあるもの、それは我々の共通の失敗を決定するものです)、その両者の間にある差異が明らかになります。だからこそ、全ての失敗とは、教え込み信じ込み続けられているような、分析的思考のもっとも低次のレベルにあるもの、などではないことになるのです。全ての失敗が否定的な徴候ということにはなりません。失敗とは正確に、現実性とのもっとも緊密な関係の記される亀裂の徴候、シーニュたりうるのです。」
(1965.12.8)

 書かれた年月の近さから考えれば、ここでもRealitatが心的現実に近い位置にあることになるはずです。とすれば、1960年代半ばにおいては、心的現実=現実的なもの、であり、それは同時に、不可能、亀裂、あるいは共通の失敗、としてのシーニュということなのでしょうか。

 こうしてみると、1950年代のエディプスコンプレックスは(《他者》としての)象徴的なものに。60年代は、(心的現実としての)現実的なものへ。そして最後に70年代には?このときのラカンは、エディプスコンプレックスをサントームとして、象徴的なもの、現実的なもの、想像的なものの三つを結びあわせる諸々の四つの輪のなかでの理想型とでもいうべき、四つ目の輪として考察しています。とはいえ、1977.5.10の時点でも、同じようにサントームとはシーニュである、という発言をしているところをみると、意外にぶれはない、ということも言えるかもしれません。


「(想像的なものとは別の形で、象徴的なものと現実的なものが)別の形で結ばれること、これはエディプスコンプレックスの中核を為すものです。この故に分析それ自体が機能するというものでもあります」(1975.1.13)
 そういうわけで、この箇所、じつは「別の形での紐帯」が、想像的なものとは違った形で機能し始めるときのことを描いています。セミネール20巻で、われわれがガジェットの主体であり、そしてまたそこにしか社会的紐帯は無いと言った時のように。この少し前のところで、ラカンはペアノの自然数論の話をしています。集合論的にフォン・ノイマンの定義を利用して説明する時もありますが、いずれにせよラカンの着目点は0をもとにして、というか0ないし空集合さえあればあとは連続的な自然数が導かれるということを、原抑圧の問題と絡めて論じています。「抑圧されたものは穴」というのがラカンのテーマ。そして、Realitatとはまさにこの位置に置かれることになります。究極的には。0の事実存在はありません。しかし、事象内容としては考えることが出来ます。エディプスコンプレックスもまた、それと同じことなのです。

 じゃあ、0はシニフィアンじゃなくてシーニュということ?あの、ゼロ記号としてのシニフィアンロラン・バルト以来おなじみの空虚のシニフィアンという話は、どこにいっちゃうの?というところ。
 さて、ここで興味深いのは、晩年のラカンが彼のテーゼ「シニフィアンは他のシニフィアンに対して主体を表象代理する」というそれにややひねりを加えているという点でしょう。二つのシニフィアンが対になる。この時点で、象徴の体系が成立する、と同時に症状の体系も成立する。それがラカンの1975年での教えになります。
 これを解釈する最も良い方法は、これをハイデッガーならロゴスの定立作用、ポジツィオンに充てるものなのではないかと考えてみることでしょう。10月11日の記述にもあるように、ロゴス、あるいはシンボルのもつ、〜として、という、取り集める力。ちなみに、否定は肯定を前提とし云々といった、「真、偽、肯定、否定という四つの変容様式、・・・これら四つの変容形すべてへの可能性」のようなものまで、ここには想定されています。
 ただし、ラカンラカンたるゆえんは、この定立作用には必ずおまけが付いて回る、とした点にあります。それが症状であり、サントームです。この本質的に空虚な場所の中に自らをつなぎ止めるために。ハイデッガーがロゴスの作用を可能にする、その根源とみた遊動空間、Spiel-Raum、そこにいるために人間はなにがしかの代償を払う、という発想はハイデッガーには欠けたものです。
 というより、そもそもこの取り集める、ということ以前にロゴスは存在するのかも知れない、というところが、この話のミソです。ハンナ・シーガルの象徴等式に見たように、われわれの言語活動には、逆に「何一つ取り集めることのない」同時に「何一つ解き放つことのない」決定的に動かし難い言語活動が見られます。言語新作もその一つ。でも、やはりそれは、遠く離れたものを一つに結びあわせた、という点で、すべての始まりの言葉でもあるのです。始まりでありながら、失われなければいけない言葉。その言葉を、ラカンはララングという問題圏の中で考えようとしたのだろうし、また、シーニュという言葉が復権して使われ始めるようになった理由だとも思われるのです。でも、このあり得ない始まり、あるいは消失していく始まりが、いまのわれわれにとっては、そこらをのこのこと歩いていくものになったかもしれないとしたら?



 話がだいぶんに思弁的な方に流れました。ともあれ、社会的実在、という言葉、もし可能だとするなら、エディプスコンプレックスも同じように社会的実在です。それは別にどこに存在しているか指し示せといわれるようなものではありません。ただ機能しているのです。
 1968年、学生運動華やかなりし折り、パリでは構造主義に反抗して「構造は街を歩かない」と書いたアジテーションがあったそうです。ラカンの答えは「構造は町中を歩いてるから」それと同じです。

 問題は、おそらく、それが想像的なものを経由した身体、あるいは性的パートナー、一人の女性une femmeへの愛へのつなぎ止め、そして主体化ではなく、ガジェットに代理される外在化に取って代わられるという可能性でしょう。この第四番目の項はどこで何を用いるか全く定かではないのです。そして、われわれは見ることも出来ない、触ることも感じることも出来ない、しかし在ると想定されている、という点でRealitatといっていい諸現実が、われわれが手にした人工の器官によって感知できるものになったのだとしたら、われわれの現実はすべて事実存在へ還元されていくのでしょうか。
 社会学的には、社会実在論と、物象化の理論、そのあたりの渡り合いが、一つの関連主題になっていくのでしょう。ハイデッガーは、ルカーチの『歴史と階級意識』のなかの物象化論に大きな影響を受けたと言いますが、そのあたりと絡めて、また論じてみたいと思います。いつか。だいぶ先に。。。