転失気(てんしき)


本能を知を伴わない認識とするなら、フロイトのそれは認識を伴わない知であり、古代の奴隷のように、自らの死刑宣告書を自らの頭部に入れ墨され、それと知らずに届けているようなものである。(Ecrits, p.803)

 ここのところ、主体なき知、というネタで引っぱってきました。
 冒頭に掲げたのはエクリから。まあ、さしあたり主体なき知、といっていいでしょう。これが1960年の原稿ですから、ということは、ラカンがこのテーマを扱ったものののなかでいえば、比較的初期にあたる、といっていい時期に書かれたものです。
 セミネールの15,6巻あたりをちょっと先取りしていえば、これはパロール無きディスクール、といっても良いかも知れません。ではパロールすなわち語る口がないのであれば、何がそのディスクールを支える=媒体となるのか。それは人間存在そのものである、ということになります。でも、本人が喋るものではないのですから、この場合奴隷本人がテクストであり、あるいは一つの文字であり、同時にそれを書き込む紙ないしその断片でもあることになります。そうしてみると、人間社会というのは、一つのディスクールであるというより、一枚の紙のようなもので、そこに人間という文字が、そり込みと入れ墨の入った頭を、文字通り雁首並べて、配置されることで、一つのディスクールを書き記しているのかも知れません。

 ラカン初期における文字の概念はこの意味での文字ということです。だからこそ人間は「肉の本」(『ヴェニスの商人』からですね)なのだ、とラカンはいうのでしょう。

 ラカンにおける文字(知らぬまにおのが判決を頭皮に書き込まれた奴隷のように)は、つまるところ、初期においては人間そのものがディスクールというテクストを書き記すためのの媒体であるというニュアンスが強かった、といっていいでしょう。しかし、そこからラカンは次第に、そこに書かれる文字についての考察に比重を移していきます。わかりにくいですが。書かれたものである、という性格と、書かれたものはどのように機能するか、に始まったものが、次いで、それはどのように書かれたのか、あるいは書かれることが出来るのか、という方向へ、という感じでしょうか。
 最終的にそれは、ララングとサントームという対となって、症状論そのものを書き換えていくことになるでしょう。あるいは様相論理への接近を思い出す方もあるでしょう。しかし、いきなりそこに行くのは無理があるので、まず準備考察から。


「発見とはここで、知のない知である思考があるということを言わんとし、実際そういったというものです。結びつきがひき裂かれ、しかし同時に、この「我在り」と「我思う」の関係のあいだを揺れ動きます。それぞれが不和Entzweiungであり、我思う、そのときしかし我は何を知っているのかを知らない、ということになるのです。ここから話をしているわけではない。私の存在について語るものが生み出される、ということを解明しているわけではないのです。この存在とは私が存在から由来しているということなのでしょうが。むしろこのディスクールのつまづきや間隙の中に私は私の主体としてのあり方を見出すのです。ここで真理が自首してくるのです。それは私のパロールからやってくるものに対して何の警戒もしていないときなのです。真理という問題が生まれてきますし、真理は経験の中に回帰してきます。・・・私が症状として示したもの、それは人が何と関わっているのかを私が知っている、ということを証明してもいますが、それを脇に置いても、私の思考、幻想は私が作り出したものであり、それは単に何も知らないかのように作り出した、というだけでなく、何も知りたくないかのように作り出しているのではないか、ということなのです。これが不和です。」1965.6.10

 Entzweiungにかんしては、そのヘーゲル的なニュアンスを前回お知らせしておきました。客体としての我在りと、主体としての我思うとの分離。それがもたらすのは、世界から孤立した自己意識です。「意識が総体の外に出ている事態であって、存在と非存在、概念と存在、有限性と無限性との分離であることになろう。」(「フィヒテシェリングの差異」戸田洋樹訳、公論社、1980、18頁)ここで不和と訳したのはその前後のラカンハイデッガーまがいの語義論を拝聴したためですが、それはとりあえず脇に置いておいて。さしあたり、この時期のラカンは、この「知のない知である思考」について、その実体の側の方を余り多くは語っていません。むしろ、「知りたくない」という主体の側の抑圧を問題にしています。それが、ラカンがサントームでなく症状としてこの問題を語っている理由でもあるのですが、それはちょっと先走り。


「主体、知を想定された主体とは何でしょう。というのも、我々は無意識の中で我々を主体なき知へと位置づけるこの種の思考不能なものと関係するからですのでしょうか?もちろん、ここには、また気づかないわけにはいかない、考察し続けないわけにはいかないものがあります。主体とはこの知の中に含意されている、そして端的に、抑圧の有効性をすべてを回避したままにしている、と。」1968.1.17

 ですから、ここでは微妙に、何が主体なき知へとわれわれ、すなわちここでは分析家、を位置づけるものなのか、という問いかけが生まれてきていることになります。分析における分析家の立場は、ここである種垂直に(文字通り下に押し込められたものとしての)抑圧を知を想定された主体としての分析家との関係のなかで水平構造に置き直させることで、この亀裂、分離ないし不和を明確にしていくことにあります。そのことは、患者に書き込まれ、そして患者が紡ぎ出す知としての症状が何に向けたものであるのか、そして何と結びつこうとしているものであるのかを明らかにする手助けをしてくれるでしょう。
 さらに、この問題はセミネール17巻で、はっきりとしてきます。


「もっと単純に言うなら、シニフィアンには用法があって、それは主人のシニフィアンと身体との亀裂によって決定されるということこそが重要なのです。この点についてはこれまでお話してきましたが、奴隷はこの身体を喪失することで、シニフィアンが書き込まれる者以外の何者でもなくなります。
 こうしてわれわれは、フロイトが「原抑圧されたもの」という謎めいた挿入句に置くことで定義したこの知を想像することができるわけです。その言わんとすることとはまさに、起源からしてそうであるがゆえに、抑圧されなかったものがあるということです。もしこういう言い方ができるとすれば、この頭のない知は、構造的には、政治的に決定される事実です。私は労働〔妊娠〕という言葉を、その本来の豊かな意味で理解しているのですが、労働によって生産されるすべてのもの、主人の真理に関して上演するすべてのもの、言い換えれば主体として隠れるものは、分割され、「原抑圧」され、そして理解されないこの知と再び結合しようとするのです。」(sem17, p.102)

 さて、奴隷さんはここで再登場。身体をなくしたもの、という点では冒頭の奴隷さんと変わりません。無くした理由も一緒。それ以外のすべてのシニフィアン、それがこの身体に書き込まれているからです。奴隷さんは羊皮紙なので、身体ではなくなってしまうのです。人皮紙ですが。
 でも、ここで付け加わったのは、じゃあ何について記してあるの?ということ。以前は、奴隷さんの運命を決める処刑宣告が書いてあったくらいですから、ある意味何が書いてあるかはしらないけど、その意味を知り、読みとるものがいるはずでした。じゃないと処刑宣告にならないし。
 しかし、このセミネールでは、知は頭のない知(もちろん、バタイユの無頭人アセファルからです。先回りしていうとラカン用語の主人のシニフィアン、S1でもあります)、原抑圧された知、というものがあって、その不可解な知に向かって、他の一切の知、S2が結合していこうと試みる、ということになります。ですから、このS2は症状でもあります。このあたりから、症状とは、自分について自分が何ものであるかを知ることもないまま、ある知について物語ろうとする知である、といったニュアンスが出てくることになります。知というくらいですから何かについて解説している賢い者、であることは確かなのでしょう、でも、何について解説しているか知らないのに賢しらに解説しているわけですから、やっぱり自らを知らない知といわざるを得ないでしょう。なんか落語にそういうのありますよね。転失気、てんしき、でしたっけ。

 てんしきについてはこちらをどうぞ、って本筋にはあんまり関係ないですが、念のため。

 そんなわけで、このS1と身体との間に亀裂が入り、S1が原抑圧されることで、身体の方は、S2の書き込まれる肉の本でしかないことになってしまいます。念のためいっておくと、それはどうにもこうにも的はずれ、rateなことだけ話すものです。詳しくはてんしきをどうぞ(十分本筋に関係してきた・・・)でもそうすると、とりあえず「自らを知らない知」としてのS2のほうは理解できても、もうひとつあらたに問題になってくるのは、そう、この「自らを知らない知」そのものを根拠づけるこの知、のほうになってきます。
 次回は、この「現象としての=症状としての知」を産出させる、その知の流出を根拠づけるなにか、を、ラカンが最晩年にどのように問うていったのかを考えましょう。