知的貯金の民営化

 さて、前回は知的所有権?知的財産?というはなしを、知の原初的蓄積から資本への転化、という文脈で考えてみました。

 デカルトのくだんのコギトで問題なのは、実は表象の産出権、というところにあるのだろうなあ、そしてデリダフーコーの(あの良くわからない)論争というのも、実はそこを巡っては立場が一致しているとお互い目配せしあっているのだろうなあ、と、わたくしは思っています。フィヒテからシェリングあたりには、ちょこちょこっとこの話が、それもさも当たり前のトピックであるかのように出てくるので、もう少し哲学史的な事情を調べておきたいとは思うのですが。まあ何はともあれ、それまで表象というのは神様がお作りになるモノであって、人間はそれを見ている人でした。だからこそ、表象を見ている=思惟しているわたしは、神様が騙していない限りにおいて、存在することは確かだったのです。

 そう、人間が表象を創作するということはなかったのです。あるとすればそれはキチガイだ、とデカルトが言った言わない、それは近代の主体の運命そのものだイヤだからオレははじめからそう言ってるっちゅうねん、というのが、例のデリダフーコー論争。でも、デカルト以降、というか、デカルト的主体といわれるもの以降、この権利は自明のものとして認められるようになります。そして、それが自由と同時に狂気の条件でもある、ということを指摘していたのが初期ヘーゲルラカンも、この点についてはヘーゲルにそのまま乗っかっている箇所が40年代の著作には頻繁に見られます。

 まあそういう風に考えると、知的所有権というのはここを元にしなければいけない、という風に思えてきます。つまり、お前が考えていることはキチガイの戯言で、普遍的な真理とは何も関係もないかもしれない、自由であると同時に狂気の産物であって、だからお前のモノであるといっても良いよ、ということ。フーコー先生あたりをお好きな方たちはよく言われることですが、「著者」という概念の歴史の始まりは、「こんなもの書きやがって」という、お尋ね者、というか取り締まりの対象を特定する必要から生まれたものでした。真理には持ち主も作り手もいない(もしかしたら神様はそういって、うーん、いいのかなあ、よくないかも)、でもキチガイの戯言には持ち主がいて良い、というか、責任者がいて良い、ということです。

 さて、それではこの点に関するラカンせんせいの発言を聞きましょう。


私はデカルトの前にあったこうした知を、知の前蓄積状態(un etat preaccumulatif du savoir)と呼びたいと思います。デカルト以降知は、とりわけ科学的知は、知の生産様式に基づいて構築されることになったのです。・・・それは資本主義です。資本の蓄積、それはデカルト的主体が、ここでいう知の蓄積に基づいて確証され基礎づけられる存在に対して取り結ぶ関係なのです。知はデカルト以降、知を蓄積するために使われるものとなりました。それは真理の蓄積とはまた全く別の問題なのです。(1965.6.10)

 そう、ですから、デカルト以前、あるいはデカルト本人も含め、この段階までは知とは富と同じように、自然界にそれとして(たまには隠れて)存在しているか、あるいはイデアの世界にそれとして存在しているもの、であって、それ以上でも以下でもありませんでした。つまり、主体が関わるもの、そうした一連の実体の真理、というかたちで、大地に縛られていたのです。しかし、人間が(おそらくは狂気の力を借りて)表象を産出できる、ということになりますと、話は変わってきます。その狂気は知を大地から引き離し、実体の真理から遊離したただの知あるいは妄想としての表象が、主体のなかには蓄積されていきます。ついでに言うと、この蓄積の集合こそ、自我ないしは内面性と呼ばれるものになります。

 とはいえ、もちろん忘れてはならないことは、そのように感性的な縛りをいっさい欠いた表象の存在を認めることが、科学の発展の条件の一つであったということ。ですから、この「狂気と創造」という一見とても自発性あふれるように見えるもの、それは実は実体を参照することなしに、知と知の連関によってのみ構築される現実としての科学のディスクールの世界を受容する姿勢の条件でもあるのです。

 主体は知を産出する、といいました。でもそれは、ある意味では表象が表象を生む運動の場として主体が(そして主体の内面空間が)選ばれた、というに過ぎません。それは、資本が資本を生む場が労働者の身体の上であったのとおなじことです。
 そして、簡単に言えば、大学はいま、300年ほども前に主体が果たした変容を、遅れに遅れてようやく果たすことを強いられている、ということになりましょう。資本の誕生と主体の誕生、それはお金ないし表象としての知が、自然界ないし神の産物としてあるがままに(時として隠されたものとして)存在する真理ないし富であったものから、それ自体で自己増殖し蓄積されていく純粋な知ないし資本へと変容したことによって成り立っています。しかし、奇妙なことにその知ないし表象は学問としての知のレベルには、なかなか侵入できずにいました。(実はその理由がなぜなのか、まだ見当が付いていません。。。)むしろ個人の思想表現の自由というレベルにおいてのみ、知が知を生む構造を限定するような抑制が働いていたようにも思われます。そして、ようやく大学はとても皮肉な意味で「主体」として行為することを求められるようになった、ということでしょう。