唯フン論、あるいはヨーグルト入りカレーライス?

 さて、ここのところ、赤ちゃんのうんちとおっぱいを考えながら、話を対象a唯物論、というと言い過ぎですね、まあ物質主義、くらいでしょうか、まあそういうところまで展開させてきたのでした。

 たとえば、ラカンの前回冒頭に掲げた引用箇所にもあるように、それは思惟の場合でも同様です。真の思惟、というのがあったとして、それは恐らく存在の本質を思惟するものということになるのでしょうが、だとするとその本質は具体的に何かの実体のうえに宿ってものとして具現する必要はまったくありません。たとえて言えば、金融のシステムのなかで、お札やコインが全く必要ないのと同じようなものです。(と書こうと思ったけどこの辺はあんまり自信がないっちゃないところで、もうちょっと中野さんの本を読みこんで勉強せねばなりません。。。)しかしながら、思惟はなんらかの実体を必要とする、ように見えるときもある。だとするとそれは、この《他者》の意志というものが不明だからです。不明なものの相関項が物質であり、だからこそ、物質として対象aが必要、ということになり、なおかつ、神様が世界を(物質として)作らねばならなかった理由ともなります。つうか、物質のもつ不透明性(その重苦しくそして扱いの不便な性格)は、《他者》の意志の不透明さそのものでもあり、その不透明さが、循環の中に物質としてあらわれる過剰ないし過小を作り出すことになるのです。

 ちょっと話が抽象化しましたから、また赤ちゃんの話に戻しましょう。
 赤ちゃんにとっては、おっぱいのんでねんねしてうんちして、というごく当たり前のサイクルが、初夏の平和な日差しの中延々と続きます。しかし、そのなかに、尽きせぬ喜びを見いだすお父さんお母さんがいる。それは赤ちゃんにとってはある意味では余分なことです。だからこそ、その尽きせぬ喜びの謎、に対する答えとして、外にあるなにかを引っ張り出してこなくてはならない。それが、うんちこそがこの喜びの謎に対応するものであろう、ということです。そしてこのとき、うんちというそれまでは循環のサイクルの中の透明な一要素であったものが、突然謎を秘めた物質として輝きながら出現することになります。

 それはもしかするとおっぱいも同じなのかもしれません。いや、乳房に関してはいろんなことを別の方向から考えることもできると思うのですが、ここはあくまでお母さんの証言から話を組み立てましょう。お母さんだってそうそう四六時中赤ちゃんと一緒にいられる訳じゃない。共働きだし。保育園にだって預けないと。でも、やっぱり胸が張ってくる。そのときは、絶対赤ちゃんだってお腹が減っているとき。お母さんはそういう確信があるのだそうです。テレパシー?とは本人談ですが、さてもこの万物照応。幸いにして保育園は10分ほどなので、授乳もらくらくです。

 でもそれは、やっぱりおっぱいと赤ちゃんの切れ目を前提にしたおはなしです。そしてお母さん、たまにはちょっと意地悪をしておっぱいをあげるタイミングを一瞬遅らせたり。(女親と娘って意外に冷静な関係だわ、と素人のわたくしの思うやう。。。)だから、子宮内のように、例えてみればおっぱいが口にくっついていて(実際はおへそだけど)ずーっとなめらかに栄養を摂る、ということはできません。ついでにいえば、子宮内のようにずーっとなめらかに排泄物を出すということにもなりません。おむつとか面倒だし、赤ちゃんにとってはこの時期特に結構不快だし(っておむつのCMで言ってた。しったかぶり。耳年増。) 。こうしたなめらかな循環の切断と、その切断によってクローズアップされる物質性(おっぱいとかうんちとか)が一方に、他方にそういういじわる(まあお母さんがどんなにがんばっても赤ちゃんがそう思っちゃうことは仕方ない、にんげんだもの)をする、そしてうまく行ったときには物凄く喜んでくれるお父さんお母さんの意志と喜びが。なるほど、神は世界を創造しなければいけなかった理由が分かったような気もします。まあたぶんだけど。錯覚だけど。

 こうしてみると、ラカン対象aという議論は、意外にも中世以来の本質、存在、そして実体といった議論と(おそらくベルグソンを介して)深く関係しているのかもしれません。しかしまあ、それはまたべつのはなし。

 ともあれ、ちょっと便秘気味で4日分くらいのうんちを、わたくしが来たときに一気にすっきり快便してくれたくだんの赤ちゃん(両親は「うん絶対お客様が来るというので待ってて貯めてたんだよ〜ほらほら見て〜って」と言ってはくれるのですが、クライン式に「うんちばくだん」でないことを神に祈るわたくし)、ついでにパパのおむつ交換も見物させてもらっていたわけですが、そういえばそのとき、うん、しばらくはカレーとか食えないかも、と思ったものでした。なんとなくほら、隠し味にヨーグルトを入れました!みたいな雰囲気で。

 でもそんなことすっかりわすれて、そういえば昨日カレーでしたね。。。いや、おいしかったけどね。もう大丈夫、たぶん。。。



 赤ちゃんのお祝いにはちいさなふくろうのぬいぐるみを贈りました。かれがふくろうらしくまじめに寝ずの番をして、赤ちゃんを守りますように。