ストイックな男

と、呼ばれて久しいわたくしですが(味も素っ気も色気もない、でも邪気と妖気に溢れた生活を無為に過ごしている、のほうが正確だという指摘はさらっと聞き流して)、そんなわたくしでも、じゃあストア派って、と聞かれれば、とんと知らない、と正直に申し上げるほかございません。そのへんは、世の妻帯肉食還俗凡俗のみなさま同様でございます。*1

 そんなわけで、他の数多い空白地帯と同様に空白だったこの領域を埋める(と言うか埋めようと頑張る気になった)のは、エミール・ブレイエ初期ストア哲学における非物体的なものの理論―附:江川隆男「出来事と自然哲学 非歴史性のストア主義について」 (シリーズ・古典転生)」(江川隆男訳、月曜社、 2006)の読書がきっかけでした。きっと同じようなひともちょいちょいいるのではないかと思いますが。この本、なんとなく先頃紹介したブルーノ・ラトゥールと絡んでくるところもちょいちょい無いわけではなく、またちょいとしたお仕事の都合でストア派に関する乏しい知識のまとめもしておく必要も生まれましたので、良い機会だからかんたんに。

 ブレイエさんといえば、日本でも「哲学の歴史」全三巻が(仏語ではシリーズIIにさらに三巻あるけど)既訳で存在していますが、古書でも結構なお値段の上、あんまりでまわりません。ですので、ストア派も扱っているこのシリーズ第二巻を参照できていない(借りて来いよという気もしますが諸々のごにょごにょな都合で。。。)ということはお断りせねばなりません。代わりと言ってはないんですが、周辺知識は、A.A.ロング「ヘレニズム哲学―ストア派、エピクロス派、懐疑派」(金山弥平訳、京都大学学術出版会、2003)と、それから「哲学の歴史〈第2巻〉帝国と賢者 古代2」(内山勝利責任編集、中央公論新社、2007)を中心とした神崎繁先生の諸々の論文等を適宜援用することにしましょう。
 さて、この本、題名から見ても「非物体的なもの」を扱うはずですが、否定を扱うその前に肯定を、つまり物体的なものを扱わねばなりません
 つうかまあ、手順からしても、そして世の通俗的なイメージからしても、そのほうが自然です。なぜなら、ブレイエもいうように、「アリストテレス哲学の後に生まれた哲学がもつ一つの特徴は、存在者を説明する際に叡知的で非物体的なあらゆる原因を拒否したことにある」(9)から。叡知的で非物体的なあらゆる原因、一番有名なのはくだんの「イデア」という奴になろうかとおもいますが、まあそういうの、抜きで話をしようと。
 じゃあ、なんで抜くの?ということですが、とうぜんそこには一つの哲学があります。ブレイエは言います。「ストア派エピクロス派の人々は、物体のうちにこそ唯一の実在性、つまり働きかけるものと働きかけられるものを見いだすと主張する。」(9)ここでは、実在性とは働きかけ、働きかけられるという相互作用性のなかに存しているのであって、その外にはない。
 そうはいっても、存在と物体を同一視する立場をとる彼らであっても、空間や時間を、存在としてではないにしても、少なくとも定義された物として認めざるを得ません。そうした存在の無のためにこの「非物体的なもの」というカテゴリーは作られます。しかし、ここはその話はまず措いて、この「物体的なもの」のほうをなぞっていくことにしましょう。

 さて、そのように、働きかけるものかつ働きかけられるもの、として成り立つ実在の世界の個物は、どのようなものか、それをブレイエはこうまとめます。「存在者それ自体は、より高次の統一の部分としてではなく、その実体を構成するあらゆる部分と、その生命を構成するあらゆる出来事との統一性や中心のような物として考察されるだろう。存在者は、その連続的変化をともなって、この生命がもつ時間と空間の中で展開するだろう。」(14)そう、実体は構成されたものであり、構成とはそうした働きかけ働きかけられの織り成す出来事の集約点として存在するものです。

 そしてもうひとつ、ここではこの生命という比喩が登場します。これは、ブレイエの解釈するストア派の大きな特色です。この哲学が依拠する世界観そのものが、多くの面で、芽の種子と発育、植物の発育・・・といった生物から借りてきた事例からなりたっているのです。「その諸部分の組織化と階層をともない、ある闘いから別の闘いへと進んでいくその進化をともなった世界全体は、一つの生物である。諸部分の結合を備えた無機物それ自体も、生物の統一性と類似した統一性を有している。したがって、説明されるべき所与、つまり存在者の変化は、つねに生物の進化に比せられるのである。」(14)そう、世界卵ないし胚種のひとドゥルーズがこの本を評価していたのも、そしてドゥルージアンの先生がこの本を訳されているのも納得です。

 この「構成」という概念を、ドゥルーズはのちにスピノザを論じる際にしばしば用いることになります。エデンの園でリンゴをつまみ食いしたアダムについて、スピノザは『[rakuten:book:11345436:title]』(畠中尚志訳、岩波文庫)でこう言いました。神さまとしては、あんな、食ったら悪いとはいうてへん、食うたら死ぬでとゆうてんねん、というつもりだったのに、アダムは頭が足りないので「えー何か知んないけどダメなんだって〜ダメなことなんだって〜」と解釈したと(100)。なにやらオラは死んじまっただ風な神様ですが、ドゥルーズはそれを『スピノザ (平凡社ライブラリー)』でとりあげて、構成の完全性をより低くしてしまうからやめとけといったのだ、と解釈しています(第二章第二節)。スピノザの書簡は見た限りではここでは構成という言葉を使っていないと思いますので、これを構成と関連づけたのはドゥルーズのオリジナル。そして、ジジェクは「そうだよね〜煙草は吸うなとは言わないよね健康のため吸い過ぎには注意って書いてあるよね〜」と、それがこんにち的な生権力と親和的であることを皮肉っていたりすることでも、有名な箇所でしょう。

 それはともかく、この構成という言葉、ロングはそれについてこうコメントをしています。ストア派には親近的oikeiosオイケイオスという概念があります。それはあらゆる動物が、自分の自然的な構成に適した好みと嫌悪を示すということから着想されたもので、つまりすべての生き物が自分自身に親近的であるように構成されているのだと。
 オイケイオスは同族の、類縁的、属する、等々を意味する日常語で、動物がその環境に対して示す関係を規定する概念であるが、しかし第一義的に親近的であるのは自分自身に対してだ(261)とロングは論じます。これは結構射程が長く、正義の出発点さえもが、自己自身に属しているものに引かれる、というかの親近性の態度である(289)とされているほどです。(M先生正義論は順調でしょうか。賢い後輩より)なお、神崎繁先生(神崎繁「生存の技法としての「自己感知」−−−ストア派における「自己保存」と「自己意識」の同根性をめぐって」上・下、『思想』971号、pp. 6-25、同972号、pp. 73-95、岩波書店、2005年)によると、この語に対してキケロはcommendatioとconciliatioの二つの訳語を用い、近代語ではappropriationとあてられていることが比較的多いものの、他にもaffinity, orientation, familiarization, affiliationなどが用いられていて定まっておらず、対称的に反対語は定訳として疎外alienationをもっている(24)と論じられています。そう、疎外の反対なのですね。

 さて、これと構成を関連づける根拠は、次の文章の引用からも明らかになりましょう。

「適切に、整然と、各自の自然本性と構成に従って行為しないなら、われわれはもはや、われわれ自身の目的に到達することはないだろう。というのも、構成が異なっているものの場合は、そのものがなす業と目的もやはり異なっているからである。」(エピクテトス『語録』第一巻六-一二-二〇)


 こうした、自己自身の本性と構成に対する感覚、それが正義であり、セネカはこれにたいして、constitutionis suae sensus:自分自身の組成に対する感覚、という訳語をつくりだしています。


 さて、ここでちょいと面白いことがひとつ、あることも指摘しておきましょう。まずはその箇所の引用から。「諸事象の継起がわたしに不明であるかぎり、わたしはその都度、自然的な諸利益〔ギリシア語の直訳は「自然に適った諸事物」〕を得るために、より適した物事に向かう。というのも、神自ら、わたしに、こうした物事を選び取る能力を与えてくださったからである。(SVF iii 191)」(295)これはクリュシッポスからの引用ですが、ロングのnatural advantageという訳に対して、訳者の金山先生はわざわざカッコでニュアンスを補っています。おそらくsympheronの訳語なのだろう、とは思うのですが、この辺は対訳を見ないとなんとも言えないけど見てない不勉強。ですが、これが「適合的」から「利益」へとずれていくというのは、なにやら示唆的でもあります。とくに、ネグリが解釈する初期資本主義とスピノザの分かれ道、という意味でも、先ほどのappropriationの「親近性」から「領有化」への変化とならんで大事かと思われます。

 それでは、今回はとりあえず、構成、という概念が出てきたところまで。次回は、その構成概念の持つ広がり、文字通りの意味で世界へ広がっていくという意味での広がりと、その運動に文法的構造というか、論理学が絡んで、話がややこしくなるところを見ていきましょう。

*1:いや、八つ当たりの上に話がずれてるし。世の中の人はもっと賢いし