歓楽極まりて哀情多し

 春、桜の季節はもう終わり。
 今年もじゅうぶんに桜を堪能する時間はできました。そんな時、いつも思うのは、僕らが春になる、春が桜になる、桜が春をする・・・といったような、そうした感慨です。サルトルなら吐くのでしょうけど、幸いにも立派なエイジャン。春が光になり、桜になり、そこを歩く僕らになり、という感覚は、人前で口にするには気恥ずかしいものではあれ、不自然なものではありません。
 もし、気恥ずかしいついでに音楽でそんな感覚のするものを、といわれれば、この曲をあげることでしょう。ラフマニノフ交響曲第二番第三楽章。先日プレヴィンがN響を振った公演は放送もされましたが、N響N響とも思えないすばらしい音を出していました。それこそスクロバチェフスキがブルックナーの第5番を振ったあの公演なみでしょう。もう10年も前になりますか、あれ。クラシックはある程度ディティールが大事なので、普段音質にはとんと無頓着なわたくしでも、mp3でもいや、youtubeなんかではもっといや派なのですが(いっちょまえに)、こちらのyoutubeの演奏でも、じゅうぶんにプレヴィンの細やかな情緒が伺えるのではないかと思います。


 ご存じのように、ラフマニノフというのは、人前で大好きと公言するのはちょっと気恥ずかしいようでもあり、『のだめカンタービレ』でいえばちょっときどった天才肌の千秋さまが罰ゲームよろしく「もっと身もだえして」という注文付きでコンチェルトの2番を弾かされてしまったりするような位置づけだったりするわけですが、この交響曲第二番第三楽章も、だいぶ前に日本のとあるドラマ(和久井映美さんが主演だったような気がする)でもずいぶんとロマンティックに使われましたから、気恥ずかしさもひとしおというところです。おなじ春の情緒なら、せめてミヤスコフスキのチェロソナタの一番くらいにしておきたかった。。。さすがにあの曲、ネットで見れる聞けるような状況にはありませんので断念しますが。
 確かに、この曲、この甘い旋律が印象的で、そしてそれだけ、といってしまえばそれでいいような気もしないでもないのですが、何が印象的かといってあなた、ちょっと過剰なのです、歌が。主旋律はさておいて、内声のひとつひとつまでがこうも歌いまくる曲というのは、よくラフマニノフがからかわれる「ハリウッドの映画音楽」で見ることは(そうそうは)ありません。その辺に関しての、プレヴィンの気の使い方やバランスも見事なもので、これだけ内声を歌わせて崩壊させないのはすばらしいことです。
 そんなわけで、その様は、たとえば橋の上から一望しただけでは、春の川岸の桜並木というとってもバナルな光景にすぎないものであっても(ヴァイオリンのことではない)、その川岸まで降りたって見れば土の香りや色も(コントラバスのことではない)、そして土手の雑草や虫けらでさえも(びよらのことではない)、そして遠くの川の水面も(金管とか木管とかどっか遠くにいそうな連中のことではない)過剰なまでに春を歌っているその景色を思い出させます。そんなわけで、春は僕らになり、桜になり、幹になり、水になる(チェロのことである)、そんなきもちをこの曲に託しても、あんまりおかしなことではないでしょう。
 表題にも掲げた、歓楽極まりて哀情多し、漢の武帝の一節ですが(「秋風辞」という題名はあえて伏せておきたい・・・)、この曲のこの楽章はなんとなくそれを思い出させます。歌はセンチメンタルなものですが、歌がこうも過剰に重なり合うと、その過剰さはどこか必死さを感じさせるものになって、そこから哀しみ多し、へと向かっていきます。それは桜によく似ています。ソメイヨシノそれ自体は、ちょっと無機的な花ですし、そもそも連中はクローン。たとえて言うならエヴァンゲリオンの終わりの方で、たくさんの綾波レイさんがぷかぷか浮いているシーンのような気味の悪さを感じてもおかしくありません。しかし、それが極まるところまで花咲き続けると、その必死さは哀切ですし、その哀切さはたぶん、鳥のまさに死なんとすときその声哀し、という思いに近づいていくのでしょう。そのことは、上でもちょっとふれたミヤスコフスキのチェロソナタも一緒。いちおう二楽章制ですが切れ目がないので事実上単一楽章のこの曲、チェロはひたすら歌いまくります。実演でやったらたぶん体力が持たない。それは、言ってみればボロディンから直結する、ロシア式のおおらかな歌なのですが、それにしてもこうも過剰に歌い続けるのは、ちょっと哀しい。このあとのチェロ協奏曲の、一瞬たりとも光の差さない空の重さと、奇妙な諦念の漂う第二番のチェロソナタへの流れが見えるだけに、その感はますます強いのです。


 とはいえ、春の感傷にふけっているだけでは何の役にも立たないので、次回はそんな、春が僕らになり桜になり雑草の緑に木々の焦茶になり・・・といった感覚を正当化してくれるような哲学を探しましょう。モッラー・サドラーの「存在認識の道 : 存在と本質について」(井筒俊彦訳・解説、岩波書店、1978)から。

 さて、何はともあれ紹介に入る前に、基本的な背景知識を、井筒先生のすばらしい後書き解説にのっかっておさらいしておきましょう。

 モッラー・サドラーさんは、本名サドル・ッ・ディーン・シーラーズィー、1571年にシーラーズに生まれる。イスパハーンにてミール・ダーマードに師事した哲学者であり、亡くなったのは1640年、最近ちょっとホットだったバスラで巡礼の途上に死去とのことです。
 イスラーム哲学史上、モッラー・サドラーさんは、どういう位置づけにあるのでしょう。井筒先生はこう紹介しています。大まかなイスラーム哲学史を三分すると、まず第一期が、初期翻訳家たちから十二世紀末までになります。この時期に登場するのが、ファーラービー(872-950)、イブン・スィーナー(アヴィセンナ、980-1037)、ガザーリー(1058-1111)、イブン・ルシド(アヴェロイス、1126-1198)。うん、ビッグネームばかりですね。ラテン・アヴェロエス主義、なんて言葉もあるくらいですから、当然ヨーロッパにもかれらの哲学は入り込み、そしてかれらの紹介を通じてアリストテレスはヨーロッパの思想史に再登場します。ところが、この時期にかれらの哲学を受容した後、ヨーロッパはイスラームの哲学とは交渉が途絶えた格好になります。
 ですので、第二期、十二世紀後半、十三世紀初頭から十七世紀なかばまでにあたる時期は、ヨーロッパではあまり知られていませんでした。しかし、特に十五世紀末サファウィー朝がペルシャ全土を統一し、主都をイスパハーンに定めてから形成された、いわゆるイスパハーン学派は、この都市の名から連想されるとおりの、あの繁栄の時代を通じて大きく豊かさを増しました。と同時に、シーア派化が進んだとも言われています。今回紹介するモッラー・サドラーさんも、この時期の人。ですから、のこりの第三期に関しては、サファウィー朝末期(1720)から現代まで、という区分だけ紹介して、第二期の説明に移りましょう。

 ほな、第二期の特徴は何かというと、それはスコラ的・理性的哲学と神秘主義との融合だと井筒先生はいいます。それを、イスラームの哲学ではヒクマット(叡知)と呼ぶのだそうです。この伝統は、偉大な二人の巨匠、イブン・アラビー(アンダルシア出身、「存在の唯一性」1165-1240)、スフラワルディー(スフラワルド出身、「照明学」1153-1191)の衝撃に端を発したもので、モッラー・サドラーはこの伝統を確立した、という位置づけになるのだそう。
 イブン・アラビーは、かれのとある逸話の一つを、ラカンが"Le triomphe de la religion"で紹介しているので、名前くらいは知っている、というラカン研究者のかたも多いかと思います。ちなみにその小ネタのもとになった逸話の紹介と解説も、井筒先生が『イスラーム哲学の原像』(岩波新書、1980)でお書きになっています。まこと、先達はあらまほしけれ。しかし、今回大事なのは後者、スフラワルディーさんのほう。

 かれの哲学は、光の哲学です。つまり、かれは全存在を神的光明の体系と見るのです。
 なんで光やねん?というと、それは修行の成果。つまり、光にまつわる神秘主義的体験がすべての原点です。しかし同時に、これをもとに、理性的次元での自己展開を行うのがかれの哲学です。ちなみに、イブン・アラビーさんにとっては、それは光ではなく、「存在」として体験されていました。そして、その存在はあらゆる方向に拡散しつつ、様々に自己限定し、多種多様なものを成立させていく創造のエネルギーであるとされるのです。この零点における存在を彼は純粋存在、あるいは秘密の中の秘密、不可知と呼び、人間意識にとってはそれは暗闇であるといったのだそうです。この辺、ドイツ神秘主義の傾向とよく似ています。他方、その拡散から四方に散る様相として成立する存在は拡散的存在と呼ばれます。その行程の分析的叙述がイブン・アラビーの形而上学となります(210-211)。
 ところが、スフラワルディーさんのほうでは、それは光。なぜ光かと言えば、まずそれ自体においてこの上もなく明らかすなわち自明であり、また一切の他者をも明るみに出すものだからです。だいいち、存在とは正にそのような本性をもつじゃん、ならそれは存在というより光じゃん、と。なぜって、存在は万有の現前ホドウールの原理に他ならないから、それを明るみに出す光こそが存在なのです。また、好都合なことに光には質的な差はないけれどその構造から無数の強度・弱度の段階が含まれます。先ほど述べたような存在の自己限定というのはこういう段階・度合いの話とされるのです(212)。つまり、光の拡散の過程そのものがactus essendiとしての存在であり、この過程が一切であってそのほかには一物もないのだ、と。そして、人間はこの自己限定的な現れを見てそこに本質を認めるのだと(213)。
 こうして再構成された現実は、人間が存在する、机が存在するのかわりに、存在が人間する、存在が机する、というような命題をとることになる、と井筒先生は説明されています。それがヒクマットなのです(214)。はい、こうして、春が桜になり、僕らになり、という感傷との連係が見えてきましたね。では、その辺から次回。

 それにしてもロシアからイランって飛び過ぎやん?