なからぎざくら

 桜並木にほど近いところに住んでいるせいか、この時分桜に不自由することはありません。

 なんてまあ、いいかげん、昔「常春の国、マリネラ」ってあったよね、と想起させるほどのワンパターンさ、だいいち、こないだ桜は終わったゆうたやんか、というツッコミも来そうですが、甘い、まだ半木桜が盛りだ。ああ、晴れているうちに行っておいて本当によかった。
 
 しかしまあ、毎回同じ話をしているほどいかれてしまうわけにはいかないので、今回は、そこから派生というか脱線して、大洋感情について。

 フロイトが大洋感情といったような、ある種の感情のなかに、非常な違和感を持ち続けていたことはよく知られています。ロマン・ロランがいささか高揚した気分でつづったこの感情を、フロイトは、おそらくかなりの違和感を持って、すげなくあつかったのでした。『文化の中の居心地の悪さ』のなかでの話でございます。
 たしかに、言ってみればそれは、モッラー・サドラーの宗教性の深さと言うよりは、どっちかというとロマン派的なセンチメントを感じさせます。(それが悪化堕落退化すると前々回のようなラフマニノフ雑感を書くような人間ができあがるわけですな)。でも、そのレベルの、ある種の軽さに対する美学的な嫌悪を、フロイトは述べているわけではありません。この論文でメインのモチーフとなっているのは、これはラカンセミネールの第七巻でも論じたように、隣人愛にたいするこれまたつれない、というより嫌悪感に近いものだ、ということは容易に見て取ることができます。
 そんなわけで、確かにフロイトは、こうした大洋感情には否定的であったかのようにも見えます。この世界の中で、そういった「永遠的なもの」に対する感覚があることは理解できる、なぜなら精神分析も記憶の永遠性、あるいは不滅性のようなものを発見したから。しかし、それが善悪やあるいは幸福といった感情につながる必然性はなく、それだけにまた、なんらかの普遍的な宗教性の基礎となる根拠もない、と。ここまでが、フロイトのこの論文のマクラになります。この論文に関しては、こちらのページにあるように京大人文研の立木さんの精緻なレジュメと読解がネットでも見れます。こちらからどうぞ。

 しかし、ここでちょっと興味深いのは、この論文でフロイトは、無意識の記憶をローマ時代の遺跡にたとえているところでしょう。正確に言えば、それは遺跡ではなく、過去から現在までのローマが同じ空間上に、同時間的に存している、というべきでしょうか。空間的には同じところに違う建物がかぶって建ってしまうはずですから、理屈の上ではおかしいですが、無意識の記憶の不滅性を表現するためのたとえとして用いてもいいではないかと、それがフロイトの理屈です。そして、それが大洋感情というべき感情をひとにもたらす遠因の一つである、と。
 ここであわせてみておかねばならないのは、もう3つ。

 まず、この無意識的記憶とローマというたとえは、すでに『夢解釈』の第二次加工の節に登場します。しかし、このときはローマははっきりと地層化されています。つまり、異なった地層に異なった年代の遺跡が積み重なり、そして、時折は、ある年代の地層から別の年代の遺物が発掘されるときもある(たとえばチョビが掘り返したから、とか)、とされているのです。それが夢の形成、ひいては症状形成と重ねて論じられるのですね。
 二番目は、『グラディーヴァ』論。こちらは対称的にポンペイという同じく古代ローマ時代に火山噴火によって灰に埋まった遺跡都市を舞台に、主人公はローマ時代のレリーフをもとに、その時代に生きた(とかれが夢想する)女性グラディーヴァと現実にポンペイで出会った女性を重ね合わせます。ストーリーは真夏の日差しの中で、ほとんど幻覚的に、といっていいほど、古代と現代を重ね解け合わせつつ進んでいくことになります。おもしろいことに、このストーリーをフロイトに紹介したのはユングです。考えてみればいかにもユングが好きそうなテーマではあります。
 そして三番目、それは「ロマン・ロランへの手紙――アクロポリスでのある記憶障害」でしょう。フロイトがローマへの強いあこがれを持っていたことはよく知られたとおりですが、もちろん同じようにフロイトアテネにも強いあこがれを持っていました。ですから、この訪問は歓喜に満ちたものであったはずです。(そうそう、この手紙のモチーフとなったアテネ旅行は1904年、「グラディーヴァ」が書かれたのは1903年、それをフロイトが扱ったのは1906年です)。しかし、この手紙でのテーマは、ほとんど離人症的といっていいほどの「疎隔感」です。「ここには本当に教えられたとおりのものがあるのだろうか」。この短い手紙でフロイトが論じた感覚の分析は、手紙の短さに似合わぬ精緻な密度を見せていて、簡単には論じられないほどなのですが、あれだけ渇望していたアテネ旅行が思わぬ僥倖な成り行きから実現することになったことへの不安、父への罪悪感といったものが、一方で過去に自分が感じたことの記憶に対する歪曲へ、他方で眼前のアクロポリスの非現実感を生み出したと、とりあえずまとめてしまっていいでしょう。この手紙をフロイトが実際に書くのは、1936年になってからです。つまり、この詳細な分析は事後的に書かれたものです。

 ですから、フロイトにとっては、こうした大洋感情ともいうべき感情に対する思いは、単なる拒絶というよりもう少し複雑なように思われます。『夢解釈』の段階では、それは大洋的なものの残骸、あるいは地層化として(大洋つながりだけに貝塚くらいかしら)描かれていました。『グラディーヴァ』のときのフロイトは、言ってみればその地層が融合するような瞬間が描かれており、『文化の中の居心地の悪さ』では、完全にひとつの空間の中に共存する永遠のように描かれており、同時にそれが拒絶されている。そして、『ロマン・ロランへの手紙』の段階にいたって、その拒絶の分析がなされている、と、ちょっと大まかというか強引な図式化ですが、まずそう考えてみましょう。フロイト自身、『文化の中の居心地の悪さ』でも、こうした大洋感情はある種の自我の発生論的な過程の中に位置づけているように見えないわけではなく、そのことは立木さんのレジュメにも載せられているわけですが、フロイト自身の思想の進展の中に位置づけてみることも、あるいは可能かもしれません。

 フロイトの最終的な結論、それは、簡単に言えば大洋感情に対する不安です。不安というと、なになにフロイトてみんなと仲間になって一つになるのが不安なタイプってこと?くらいに簡略化されちゃいそうなので、急いで付け加えるとしたら、それは《他者》の享楽への不安、ということになるでしょう。大洋感情の裏にあるのは、わたしをよそにわたしのうえで、あるいはわたしを用いて考える、そしてそのことであるいは享楽しているかもしれない、そうした圧倒的な異物としての《他者》です。つまり、わたしのなかでアクロポリスを享楽しているのは父だった。父はあれだけギリシャにあこがれていたが、この土地に来ることはかなわなかった。いまわたしは成功し、こうしてギリシャに来ることができる。そのとき、フロイトの中でギリシャを享楽したのは、フロイトなのか、父なのか。あるいは、享楽しているはずの父が、それを知らないのをいいことに、その享楽を盗み取っているのか。
 人々がみようとしないのは、大洋感情の裏には、その侵襲感、異物感があるのではないか、ということなのでしょう。そして、それに対する防衛のシステムの強固な作動としての、疎隔感、離人症、そして地層化が機能することによって、その異物は隔離され、最終的に大洋感情というモチーフが、ある種のファンタジーとして成立するとしても、それは詰まるところ、そういった一連の防衛システムの完備の後に改めて安全地帯から振り返った過去にすぎない、と。(ついでながら、この伝を用いていうと、「幼児時代はもうない」というあのモチーフも同じように解釈できるではありませんかフロイト先生、幼児時代とは《他者》の享楽に恣に翻弄されているもっとも惨めな時期では、ということもできましょう)。ですから、こうした「永遠性」というモチーフは、それを成立させるためにこうした《他者》の享楽への不安というモチーフを挿入すべきだと考えることはできます。もっといってしまえば、以前Tさんがちょっと示唆されたとおり、《他者》の享楽への不安に対する一種の隠蔽記憶としてとらえることも可能だ、ということです。(こんなかんじでお返事になってますでしょうか。)

 とはいえ、この不安、それは何に対応しているのだろう、と改めて考えてみることも可能です。「このバラ色の光の中で息をするものは愉しむがよい」。さて、前回ご紹介したスフラワルディーさんの光がバラ色だったかどうかはともかく、光の中に息をすることをためらわなかった時代が存していたことは確かです。そして、ロマン派は、その光を渇望しながらその光の中では生きられない。だとするなら、これは個体の発生論的な変化というだけでなく、史的な変化にも重なるのではないかという、個体発生と系統発生を重ね合わせたい誘惑に駆られてしまいます。というわけでその誘惑に負けてみましょう。次回はそこから。


4月18日の補足

 ひとつ付け加え忘れてしまったことを、簡単に。この「大洋感情」を、ある種のテレパシー的なものに位置づけることは可能なはずです。なにせ、相手の考えていること、相手の身に起きたことが自分の身にも起きる、あるいは見えるということなのですから。われわれのここまでの議論では、それは《他者》の享楽に対するひとつの防衛措置として、つまり自分の中で動く異物に、そして同時にその異物が自分を取り込んで外界を形成しているという事実に、抗するものとして描かれていました。ここで興味深いのは、新宮一成先生が『メディアと無意識』に所収のいくつかの論文で、少なくともフロイトにおいては、テレパシー的な感覚は基本的にエディパルな構造との関連性が深いことを指摘している点です。とはいえ、ここではある面ではそれは《他者》の享楽の侵入に対するもっともティピカルな防衛措置がエディパルな構造である、と読み直すことも可能です。そうすると、ラカンジョイス父娘のテレパシーを取り上げている箇所との連携はより強くなりますし、さらにいえばそれがサントームとして(そして父の名そのものはその理想型の一つとして)描かれていることとの一貫性がよりはっきりしてきます。とはいえ、これにはまた、臨床家の細やかな感覚を待たねばはっきりしないところもありますので、とりあえず仮説として示しておくにとどめましょう。